令和5年3月31日以後に終了する事業年度に係る有価証券報告書等から、人的資本に関する情報開示が義務となりました。これに伴い、各社の人的資本の開示内容に注目が集まっています。
内閣官房が公表している人的資本可視化指針では、具体的開示事項は、「自社固有の戦略やビジネスモデルに沿った独自性のある取組・指標・目標の開示」と「比較可能性の観点から開示が期待される事項」の2類型に整理して検討することが効率的かつ効果的とされており[ 1 ]、これらのバランスを確保することが留意点とされています。特に「独自性」については、企業ごとの経営環境・戦略等によって、考えるべきポイントが異なるため、多くの企業が手探り状態の中、取組を進めていると考えられます。
そこで、本コラムでは、「独自性」の類型を示した上で、直近の2023年度3月決算における有価証券報告書の中から「独自性がある開示事例」をご紹介します。
人的資本開示における独自性の類型
本コラムでは、人的資本開示における独自性を2類型に分けて示します[ 2 ]。類型(a)は、取組や開示事項に独自性がある場合(以下、「What・Howの独自性」と記載)です。この類型への分類は、その取組が企業価値向上につながることをステークホルダーが認識できるよう定量的・定性的に示されているか、他社のまねではなく、自社独自の要素として、ビジネスモデル・経営戦略との連動性などが示されているかが重要な観点となります。類型(b)は、開示事項自体は他社と共通であったとしても、その開示事項を選択した理由に自社固有の戦略やビジネスモデルが強く影響する場合(以下、「Whyの独自性」と記載)です。この類型に分類されるかどうかは、自社の戦略等と開示事項の選択理由が連動し、それが明確に示されているかが重要な観点となります【図表1】。
独自性がある開示事例
本章では、直近の2023年度3月決算における有価証券報告書の中から独自性がある開示事例について、前述した2類型に当てはめて紹介します[ 3 ][ 4 ][ 5 ]【図表2】【図表3】。
(a)What・Howの独自性がある場合の開示事例
「健康経営」に力を入れているニチレイは、人財[ 6 ]戦略の中で企業価値向上の前提として従業員の健康が重要であることを示しています。「健康経営」は業績向上につながる取組として注目を集めていますが、多くの企業が「健診受診率」といったアウトプット指標の開示にとどまっています。その中で、同社は「健康経営」による経営課題解決を志向し、アウトカム指標となる「アブセンティーイズム」(心身の体調不良が原因により業務が行えない日数)、「プレゼンティーイズム」(通常発揮できるパフォーマンスのレベルを100%とした場合の、現在のパフォーマンスレベル)を開示し、戦略を推進している点に独自性があります。
アステラス製薬は、経営計画の中でイノベーションの促進を重要なテーマとして位置づけています。組織の拡大に伴って階層が増えると、部下が中間管理職の顔色をうかがう政治的な組織になりがちで、組織が大きくなるとイノベーションが生まれにくくなるのは、そうした政治的な組織になるためであるという考え方[ 7 ]があります。そこで同社は、階層を減らし「スパン・オブ・コントロール」(マネジャー1人が管理する部下の人数)を増やすことで、政治的な組織からの脱却を図り、企業価値向上を目指しています。また、組織風土のみに着目してイノベーション促進の取組を行う企業は多くありますが、同社は組織風土(カルチャー・マインドセット)の変革と併せて組織構造(階層)の変革にも取り組むなど、経営計画の達成に向けて多角的な取組を実施している点に独自性があります。
(b)Whyの独自性がある場合の開示事例
大和ハウス工業は、「男性の育児休業取得率」の指標を開示しています。これは、上場企業が有価証券報告書で開示が義務付けられているなど、比較可能性の観点から開示が期待されている代表的な指標となります。一般的に「男性の育児休業取得率」は、働きやすさの文脈で開示している企業が多いですが、同社は、男性社員が家事・育児に主体的に関わることで、新たな学び(住宅総合メーカーとしての中心顧客であるファミリー層の理解など)を得て、同社のビジネスへ還元するという文脈の下開示している点に、Whyの独自性があります。
オリエンタルランドは、「従業員の働きがいの向上」の指標を開示しています。「従業員の働きがい」(いわゆるエンゲージメント)については、人的資本可視化指針で「比較可能性」があるとされた指標です。一般的にエンゲージメント向上は、業績向上(アウトカム)に向けたプロセス指標(アウトプット)として開示する企業が多いですが、同社はエンゲージメントの高さがゲストサービス(顧客提供価値)の高さであるという、アウトカムとして開示している点に、Whyの独自性があります。
戦略に基づいた独自性の検討
前述のとおり、独自性のある指標は各社各様となりますが、共通点としては、自社の戦略が明確であり、それに連動する形で指標を設定している点にあります。独自性の検討にあたっては、まずは自社の経営戦略、それに基づく人材戦略を明確化し、その上で自社にとって取り組むべきポイントを考えていくことが重要だといえます。
[ 1 ] 内閣官房 非財務情報可視化研究会「人的資本可視化指針」
https://www.cas.go.jp/jp/houdou/pdf/20220830shiryou1.pdf(最終確認日:2023年9月19日)
[ 2 ] 人的資本可視化指針では、「開示事項と目指すビジネスモデルや経営戦略との関連性、経営者が当該事項を重要だと考える理由、関連する指標・目標等の自社としての定義、時系列での進捗・達成度等を意識した開示がなされることが期待されている。」としており、本コラムでは、当該概念を包含する形で、観点を整理している
[ 3 ] 日経225の構成企業のうち、2023年3月決算の企業(3月末日を決算日とする企業のうち2023年6月末日時点で有価証券報告書の提出があった183社)の有価証券報告書における掲載内容から紹介している
[ 4 ] 出所は以下の通り(最終確認日:2023年9月5日)
ニチレイ 第105期有価証券報告書
https://www.nichirei.co.jp/sites/default/files/inline-images/ir/pdf_file/yuhohh-pdf/yuho_23.pdf
アステラス製薬 第18期有価証券報告書
https://www.astellas.com/en/system/files/6600d45aac/202303_report.pdf
大和ハウス工業 第84期有価証券報告書
https://www.daiwahouse.co.jp/ir/shouken/pdf/84yuuhou.pdf
オリエンタルランド 第63期有価証券報告書
https://data.swcms.net/file/olc/dam/jcr:f0f57304-60f9-4bfc-b1d1-eb42742d6eb7/S100R8C8.pdf
[ 5 ] 参考は以下の通り(最終確認日:2023年9月5日)
ニチレイ 統合レポート2022
https://www.nichirei.co.jp/sites/default/files/inline-images/ir/integrated/pdf/ngir2022_all_a3.pdf
日経ビジネス 2022年7月8日記事「アステラス製薬、イノベーションを生む組織風土へ改革」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC063IL0W2A700C2000000/
沼上幹ら(2006)「組織の<重さ>と組織の諸特性:日本企業における組織劣化現象と組織デザイン」組織科学 Vol.39 No.4 12-26(2006)
[ 6 ] 「人財」表記は引用元の資料に沿って表記している
[ 7 ] 沼上ら(2006)は、組織の階層数と政治的な内向き調整の相関の強さを示唆している。また、日本の大企業における新規事業開発では、活動に必要な時間の45%程度を調整に費やしており、調整日数の多さを、日本企業が得意とした創発戦略が機能しなくなった理由として挙げている。
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