技能継承は、製造現場をかかえる企業において、常に重要な経営課題となっている。ここで話題にする技能とは、工業生産に必要とする技能である。伝統技能は100年以上同じ「技」を継承していくところに意義があるが、工業技能は技術革新の進展や時代の要請に応じて常に変化していくものであり、継承すべき「技」の内容も日進月歩で進化していく。ものづくりの現場のNC化が進み、CAD/CAM/CAEの導入が進むことで、かつては高度熟練技能者が担っていた技が機械に置き換わり、技能はさらに洗練され、最先端技術でもカバーしきれない領域を技能が補完していく。つまり、技能の進歩なくしては技術の進歩はありえず、技術が進歩するにはより高度な技能が必要となる。技術が進歩した今日においても、技能継承がなお重視されている理由はここにある。
ところで、海外では日本ほど技能継承が重視されていないように思う。米国はきめ細かい職種制度に基づく単能工が基本であって、同じ職場で働く者同士でも、他人の職種領域にかかわる”越境行為”は未だタブーのところがある。中国をはじめとするアジア諸国はワーカーの転職が激しく、かつ、中国ではノウハウを個人で囲い込み、他人には教えようとはしない。お国柄の違いといえるが、技能継承は自らの地位を危うくするものと映る。
近年、アジア諸国は最新鋭の設備を導入することで技術力を著しく向上させているが、アジア諸国が導入しているのは設備に体化した「技術」であって、「技能」の導入ではない。ましてや、技能継承を可能とする技能と技術の相互スパイラルな関係は、技能者と技術者の垣根の低さ、”職種”という枠にとらわれることなく絶えず「カイゼン」を模索する生産現場、そしてチームワークによる擦り合わせを得意とする日本独特のものづくりの土壌があってこそ成立するのであって、日本の技能継承のしくみは、そう簡単に移転できるものではない。この技能継承のしくみを受け入れる環境の整っている国・地域は、欧米アジアを見渡しても多くはない。
ものづくりへのこだわりが強い国として、日本と比較されることの多いドイツには、マイスター制度が存在する。しかし、ドイツのマイスター制度と日本の技能継承のしくみは、根本的に異なるものとなっている。ドイツは技能継承が外部化されて社会システムの中に組み込まれているのに対して、日本は内部化されて各社固有のしくみとなっているところが決定的に違う。
一昨年、ドイツの鋳物工場を何社も視察する機会を得たが、どの会社もマイスターを筆頭とする技能者の確保には困っておらず、むしろ人材確保面で課題となっているのは優秀な技術者の獲得であった。マイスターの社会的地位は高いとはいえ、マイスターにはブルーカラー筆頭職までのキャリアパスしか用意されておらず、工場長になることもできない。ドイツでは工場長は大卒の管理職に与えられるポストであり、技能者でも能力次第で工場長や経営者への道が拓けている日本とは根本的に違う。
日本で技能継承がこれだけ重視されるのは、技能継承自体が内製されているが故に、それが各社固有の技術や技能をはぐくむ重要な手段となっているからである。日本のものづくりの強みはマニュアルやデータベースでカバーしきれるものではなく、むしろ、マニュアルやデータベースを整備するプロセスそのものに技能継承としての意義があるといえるだろう。
日本の技能者のすばらしいところは「しなやかさ」である。専門性にこだわりつつも、常に新しい技術を受けいれ、その技術をベースに新しい技能を生み出し、それを横展開する柔軟さである。そして、この技能者の「しなやかさ」を生かしているのが、チームワークや職種や職位の垣根の低さであり、これがわが国の技能継承の土壌にもなっている。この技能継承の土壌こそが「しなやかな」日本のものづくりを支えており、日本が失ってはいけないものづくり競争力の源泉といえるだろう。
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