11月13日、国土交通省において今後の交通政策の基本方針などを定める「交通基本法」の制定に向けた「第1回交通基本法検討会」が開催された。「交通基本法」は、2001年と2006年に当時野党であった民主党と社民党が共同で法案を提出し、いずれも審議未了で廃案となった経緯をもつが、この度の政権交代および連立政権の誕生により、本格的な検討が開始されたものである。これは、良く引き合いに出されるフランスの「国内交通基本法(Loi d’orientation des transports interieurs)」の制定が、1981年のミッテラン政権(社会党)の誕生を契機としたことと状況を同じくする。
民主党のホームページでは、2006年に提出された法案とその概要が公開されており、この度の「交通基本法」もこの法案を基礎に検討が進められるものと考えられる(http://www.dpj.or.jp/news/?num=9384)。本稿では、この当時の法案を基に「交通基本法」の特徴について整理し、特に今後の法制化に向けて主要な論点の1つになると考えられる「移動する権利」について考察すると共に、地域公共交通の現場に携わるコンサルタントとしての視点からいくつかの私見を述べる。
「交通基本法」3つのポイント
1つ目の特徴は、「交通基本法」が「徒歩、自転車、自動車、鉄道、船舶、航空機等による交通」とすべてのモード、および人流・物流の両方を含む「総合交通」を対象としている点である。2007年10月に施行された「地域公共交通活性化・再生法(以下、活性化再生法)」の対象は公共交通のみであり、「交通基本法」は「総合交通法」として関連法規の上位に位置する法律となる。
2つ目は、「交通計画」の策定と関連主体の「役割分担」である。法案では、国においては「交通基本計画」を、都道府県においては「都道府県交通計画」を定めることを義務化しており(市町村においては任意)、特に交通事業者と市町村の間に位置する機会が多い都道府県については、その役割がより明確になる可能性がある。また、各主体の役割分担については「活性化再生法」では「努力義務」と規定されているのに対し、「交通基本法」では「責務」という言葉により権利義務関係が強化されていると共に、新たに「国民の責務」が明記されている点が特徴といえる。
3つ目は、「交通基本法」の代名詞のように報じられる「移動する権利の明文化」である。法案では、社会権・自由権の両面から国民の「移動する権利」が明記されているが、特に「社会権としての移動する権利」が具体的にどの程度保障されるかが、今後の法制化に向けた1つの大きな論点となる。また、当然のことながらその結果は前述の「各主体の責務」に反映されることとなる。以下ではこの「社会権としての移動する権利」について述べる。
「交通基本法」は「移動する権利」を「具体的権利」とするものか?
「移動する権利」をめぐる訴訟はいくつか存在するが、当該権利が初めて争点となった訴訟は「和歌山線格差運賃返還請求事件訴訟」とされる。これは、国鉄再建法に基づく地方交通線の指定により和歌山線の運賃が値上げされたことを受け、同運賃が「交通権(本稿における移動する権利)」を侵害するとして訴訟が起こされたものである(沿線住民101名(和歌山線を守る住民の会)が旧国鉄に対し、一般幹線運賃との差額の返還を求めて和歌山地裁に提訴)。なお、同訴訟における「交通権」は「移動の自由(憲法22条)、幸福追求権(憲法13条)、生存権(憲法25条)」に立脚するものとされた。この時の判決を簡潔に述べると「社会権としての交通権は、具体的権利としては認められない」というものである。したがって、これらの権利は政治的指針に留まると考える「プログラム規定」もしくは、裁判規範性を有するには別途立法が必要と考える「抽象的権利」であることが示されたと理解される。では、この度の「交通基本法」はこの別途必要とされる法律に該当するであろうか。
民主党の法案の概要をみると「法制定の意義」として『具体的権利として移動に関する権利を明確化し、すべての国民に保障する』と記されている。この文言は「移動する権利」に対する強い政府保障と、当該権利が裁判規範性を有する具体的権利として規定される可能性を感じさせるものである。しかしながら、実際の法案に目を通すと、「移動する権利」については明記されているものの、保障される基準までは具体的に示されていない。実際に、全国画一の基準を基本法レベルで明文化されることが現実的でないと考えた場合、この段階においても「移動する権利」が「すべての国民が有する具体的権利」と認識されるかは不透明であると思われる。しかしながら、当該法案が廃案となった最も大きな理由は「移動する権利の明文化による政府責任の増大」と考えられることから、基準は不明確ながら国民の移動の保障に対して政府に一定程度の責務が発生するとの認識に違いはないと思われる。
「交通基本法(input)」と「利用者ニーズに合致した交通体系(outcome)」を結びつけるもの
重要なのは0か1かの議論ではなく、「公共性」と「経済効率性」のバランスであることは、「交通基本法」制定前後で変化することはないであろう。「交通基本法」の制定はこのバランスの中で「政策の重心をより公共性サイドにシフトさせる」働きがあるものと理解されるが、このバランスの細かな判断については、近年の規制緩和と地方分権の流れから、地域が個別に行うことが効果的・効率的であると思われる。
また、「交通基本法」の制定はあくまでインプットであり、それだけで「利用者ニーズに合致した交通体系」が実現される訳ではない。以下の枠内には、大まかではあるが、「交通基本法」と「利用者ニーズに合致した交通体系」を結びつけるために必要と考える仕組みについて私見を整理した。
前政権下ではあるものの、先行して実施された高速道路の休日割引のマイナス面での影響は、既に多くの公共交通に現れている。例えば「高速バスの黒字で路線バスの赤字を補填する」という構図で保たれてきた地域の路線バスは、高速バス事業の収益の悪化により大規模な廃線が検討されはじめている。また、この影響は近いうちに地方自治体がバス会社にコミュニティバスなどの運行を委託する際のキロ単価の上昇となっても現れるであろう。
現段階では、総合交通政策の議論が道路行政の後追いとなっている感も否めない。総合交通法としての「交通基本法」の一刻も早い実現が期待される。
【「交通基本法」と「利用者ニーズに合致した交通体系」を結びつけるための仕組みづくり(案)】
- 「交通基本法」において「移動する権利」を明文化するものの、具体的な保障の内容については都道府県や市町村における地域交通計画をもって規定されることが望ましいと思われる
- ただし、「移動する権利の保障」の下、地域交通計画内には各地域が考える保障の内容について明記することを義務づける。また保障の内容については、交通事業者・地域住民など関連主体間における十分な協議と合意により決定すると共に、各主体における役割分担を明確化する
- これは、現在の「活性化再生法」における協議会の検討対象を総合交通に拡張すると共に、事業の評価項目として「最低保障」の考え方を盛り込むことを義務付けたものと近似する
- なお、ここでの「最低保障」とは、具体的には買い物・通院などの移動目的別に「A地域からB施設へ1日C往復することが可能な動線を確保する」などの設定が想定される。これにより利用者数などの経済効率性だけに左右されないアウトカムを重視した「最低限保障されるべきサービス水準」を設定することが可能となると共に、異なる交通事業者間の円滑な乗り継ぎ環境の提供が必要となるため、関係者間の連携の深化が進むことが期待される
- 財源については、民主党の政策集における『道路を整備する費用をバス事業者等に補助し、サービスが向上するインセンティブを与えることにより移動困難者の利便性を確保』について、「活性化再生法における協議会」なども対象として加えることも一案と考える
- 作成された計画は、地域(上記協議会など)と国が共同で定期的な評価を実施し、計画内に明記された最低保障およびその他の評価項目が守られていることを条件に、(5)の(インセンティブを与える)補助を支払うものとする
- これにより、「地域が考える地域のモビリティ」を確保するための仕組みが構築され、国民の「移動する権利」の充足を図ることも可能になると思われる
テーマ・タグから見つける
テーマを選択いただくと、該当するタグが表示され、レポート・コラムを絞り込むことができます。