フィクションだけど生々しい。映画がいじめと「向き合う視点」を拡げる
はじめに:いじめに関する映画の製作者へのインタビューの狙い
いじめや不登校など学校現場で子どもの抱える課題は年々数も増え、深刻になっています。いじめは令和2年度時点で51.7万件(1000人あたりの認知件数39.7件)、不登校は19.6万人となり8年連続で増加しており、もはや自分とは関係のない課題とは言えない状況となっています。また、同年度において自殺した児童生徒数が415人と調査開始以降最大となり、子どもを取り巻く環境改善は待ったなしの状況と言えます。
これまで当社では、いじめをテーマに扱う際には、主に定量的なデータに基づくレポートで発信をしてきましたが、今回はいじめの加害者・被害者・傍観者になりうる可能性を持つ子ども自身や、また密接にかかわる保護者・教員が当事者意識を持つという点に着目し、レポートとは異なる表現形態である映画作品に着目しました。
命を落とすいじめ問題、少年犯罪をテーマに扱った長編映画「許された子どもたち」の脚本、製作、監督、編集を務められた内藤瑛亮監督にお話しを伺い、映画製作に携わるアーティストの目から見たいじめ問題に対する観方についてインタビュー記事形式で紹介します。
◆氏名 :内藤瑛亮 監督(ないとう えいすけ)
◆略歴 :東京学芸大学大学院を修了。特別支援学校教員に従事しつつ自主制作映画にも携わる。2011年に映画監督としてデビュー。「パズル」「ライチ☆光クラブ」など、数々の作品を製作しており、「ドロメ」「ミスミソウ」など学校を舞台とした作品も多い。
※以下、本文中は「内藤監督」と記載。
質問者の発言の前には「MURC」と記載。
繰り返される生命に及ぶいじめと、処罰への違和感
―MURC: 本日は「許された子どもたち」を土台に、作品にこめた思いや、製作活動を通じて感じるいじめ問題への捉え、子ども自身に社会課題を伝える作品作りについてお話を伺えたらと思います。
まず、本作は構想8年と、とても長い期間練られた作品、と伺っていますが、製作の発端にはどういった課題意識がありましたでしょうか?
―内藤監督: 1990年代の話になりますが、山形マット死事件1が起きた当時、私は小学校4年生でした。そのとき加害者の子どもは取り調べ当初罪を認めていたにもかかわらず、無罪に相当する不処分となったことはショックで、裁かれなかった子どもはそのまま大人になっていくとどう生きていくのか、ということが心に引っかかっていました。その後、2015年に川崎市中一男子生徒殺害事件2が起きて一層作品にしたいという思いが強まりました。ただ、山形マット死事件と川崎市中一男子生徒殺害事件で異なるところがいくつかあり、例えばSNSが普及し、関係のない個人が処罰したいという感情からネット上で実名暴露・住所特定までしてしまったり、リアルでも落書き等の私的制裁を実行してしまうところが印象的でした。
こういったきっかけで、リアリティのある作品を作ろうと国会図書館まで行って文献を調べたり、研究者や経験者にインタビューをしたり、可能な限り情報を集めました。調べていく中で、いかに加害者家族に関する文献や情報が少ないか、ということを知りました。 「いじめ」と聞くと子どもをもつ方は「自分の子どもが被害にあったら…」とお考えになることが多いように思いますが、いじめは集団で行われるケースが多く、加害者の親になる確率の方が高いわけです。しかし、なかなか「加害者の親になったら…」と考えられるような書籍や作品がないのが実態です。このあたりは阿部恭子3 先生の活動に触れるなかで、この作品では加害者、そして加害者家族に焦点を当てることにしました。
あとは、他の作品でも共通するところがあるかもしれませんが、周りが認めたくない人間、というか「自分がそうなりたくない」と拒否したいような人間を描いているのかな、と思います。拒否したい、という考えゆえに、強く非難したり、排除したいという考えの人もいるのかもしれないのですが、作品を見る中で「なんか共感してしまった」という感想をもらえると嬉しかったですね。
―MURC: 傷害事件にも至る重大事態のいじめについて、かねてからの課題意識が作品に繋がったのですね。作品を実際に撮影する前に、ワークショップを実施されたと聞いています。ワークショップをして、お感じになったことはありますか?
実際に演じることで得る感覚、視点 ―無自覚さや、被害者を責めたい感情
―内藤監督: ワークショップは今回作品に参加したいと応募のあった10代の子どもを対象に実施しました。俳優業をしたいと思う方もいれば、いじめ問題に関心を持つ方もいて、参加理由は様々でしたが「いじめ」に対して、子どもだからこそ見えることはたくさんあり、ワークショップで得られた気づきで脚本の一部を修正しました。
あと、いじめの疑似体験ワークショップもしました。そのワークショップは、「アイスクリームさん」のように抽象的な名前をつけ、その名前にちなんだことで罵倒する経験をしてもらい、その後、参加者にはその様子を撮影した動画を見てもらうものです。すると、加害役の子はどんどん「もっと面白いフレーズを」「もっと過激なフレーズを」と投げかける言葉がエスカレートし、もともとあった、被害者の気持ちを考える様子はあっという間になくなってしまいました。加害者が覚える高揚感が加害意識を奪い、無自覚に傷つけてしまう、いじめの残忍なゲーム性を物語っていたと思います。
どんどん考える余裕がなくなる、という意味では、映画の中で加害者の母親役をしてくださった俳優さん(黒岩よし氏)へ、社会から制裁を受ける場面を撮影しているときに「役として、いま被害者のことをどう思いますか?」とお尋ねしてみたことがあるんです。その時に「そんなことを考える余裕がない」ということを言っていましたね。
疑似体験のワークや、演劇を通じるからこそ、新しい視点でいじめを捉えられたり、自分の考えが明確になるのかもしれません。
また、このワークショップでは、参加者がこれまで見たり、経験したいじめについても話し合う時間を作りました、その際に、なんとなく被害者を責めるような発言が出ていました。専門用語では公正世界仮説4、と言いますが、いじめという事象が起きるのには、「被害者に非がある」と思い、そう思うことで公正な世界が保たれる、と安心してしまう感情を指します。実際にいじめがあるクラスの方が、子どもの学校への満足度が高いという調査結果を目にしたことがあります。自分ではない誰かがいじめられていることで、居心地の良い場になってしまうケースもあるようです。
被害者を責めてしまう自分がいたときに、「おや?」と自分を疑ってかかることが重要だと思います。
あと、疑似体験、という意味では、加害者役の人が被害者役の人に対して少しきつい接し方をしていることがあり、演技との切り分けが十分できていないこともありました。どう介入すべきか、大人同士で話し合い、最終的には距離を取ってもらうことにしましたね。先ほども話した通り、いじめの加害者は自分の行動に対して無自覚で、「いじり」と思っている可能性もあります。そういったとき周りがなるべく早く、いじめの「芽」を摘む必要があると思います。加害者と被害者が距離をとる選択肢を提示できることも一つですね。
―MURC: 演技や体験、撮影といった方法を用いるからこそ得られる、いつもの自分とは違う感情や感覚を体験することが出来るのですね。そういう意味では、いじめ加害は遠いもの、ではなく、「おや?」と自省する意識がなければ、誰にでも起きてしまいかねない気持ちなのかもしれません。
それでは、内藤監督自身は映画製作を通じて、いじめや子どもに対する観方で変わったところはありますか?
映画製作を通じて、監督自身が得られた新たな視点
―内藤監督: 8年の構想・脚本づくり、当事者とのワークショップ、撮影、そして新型コロナウイルスの影響も勘案しながらの緊張感のある公開、といろいろありました。振返ってみると、構想当時、少年法の適用年齢引き下げについて、賛成の立場でもっと厳罰化することが必要だと考えていました。しかし作品作りの一環で筑波大学の土井隆義先生5にヒアリングをして、少年院に送致されることで、教育的な働きかけで内省を促すプログラムを経ることができ、そのことがその後の更生に重要な役割を果たすのだと感じました。少年法の適用年齢を軽々に下げてしまうことで、内省を促すプログラムを十分受ける機会を奪いかねないと知り、自身の考えを見直すきっかけになりました。
この「許された子どもたち」では、内省の機会を得られなかったことによる加害少年や加害少年の家族の悲劇を描いているとも言えます。
本作は、有名なキャストばかりを起用するのではなく、10代の俳優志望ではない子どもも含め、子どもたちを中心に据えたキャスティングにし、前述のとおり、長い期間かけてワークショップをして子どもたちの中にあるいじめに対する観方を共有する過程を経て撮影に臨みました。こうした過程を経て出来上がった作品は何とも言えない「生々しさ」があったと思います。映画は作り話ですが、作り話だからこそ自分以外の誰かの視点を体験して、「自分だったらどうするか」と考えたり、「自分にもこういうところがあるかも」と感じたりすることに価値があると思っています。理解しがたい人の心理がなんだか分かってしまう、とか、映画を見たからこそ呼び起こされる感情があるというのは貴重な機会なのかなと思います。
また、この作品は新型コロナウイルスの影響で、1か月公開時期が遅れ、たまたまSNS上の過剰なバッシングや、自粛警察が話題になっている時期で、それらと重ね合わせてご覧になる方も少なくなかったです。意図した訳ではありませんでしたが、社会の問題をより身近に考えられるタイミングでの公開になったのかもしれません。
―MURC: ありがとうございました!本作は現在Amazon プライムなどでも配信されていますよね。
ぜひ多くの人の目に届くことを願っています。
「許された子どもたち」作品トップページはこちらから
→<http://www.yurusaretakodomotachi.com/>
※12月13日以降はこちらにアクセスください。
<http://yurusaretakodomotachi.w-lab.jp/>
インタビュアーによる振り返り
映画作品を作る過程で行うことは、シンクタンクの研究員が報告書作成までに行う文献調査、研究者へのインタビュー、当事者・経験者へのインタビュー、現場視察など共通しているところが多くありました。
シンクタンクでは、行政官などの政策立案者に、どういった政策が必要か、どういった公的支援が必要かという提言を主としていますが、映画製作者は、観客に対して「自分には関係のないこと」、「私ならそんなことしない」と知らず知らずのうちに避けていた感覚に向き合うきっかけを与え、考えさせるチャンスを創造しているのだと感じました。
学校で起きるいじめは子どもの世界で始まります。そういった意味では、子ども当事者に訴えかける手法は特に有効なのではないかと考えさせられる機会となりました。内藤監督、ご協力いただき、誠にありがとうございました。
※記事中の写真はレスパスフィルム株式会社から提供いただきました。
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