1. 食選択の自由の限界はどこか?
①ジョン・スチュアート・ミルの「他者危害原則」
前編で、私たちには食選択の自由がある一方で、まさにその食選択が畜産動物の身体的・精神的良好状態や地球環境に負の影響を与えているとして、現在の食選択のあり方に疑念を呈する人たちがいることを見た。個人のアイデンティティ確立において重要な位置を占めていることから、食選択の自由は可能な限り保障されるべきである。しかし、それが他者に悪影響を及ぼす場合、食選択の自由と他者の利害をどう調整したらいいのだろうか。それは、「食選択はどの程度まで個人の自由の範囲に含まれ、どの程度まで制約を受けてしかるべきものか」という問いに答えることであり、一言で言えば、食選択の自由の限界点を検討することであるといえる1。
この議論に欠かせないのが、19世紀英国の哲学者ジョン・スチュアート・ミルが示した「他者危害原則」である。他者危害原則とは、「個人の自由に対する法的・社会的制限が許されるのは、他者に対する危害を抑止するのに必要なときに限られる」という考えである。ミルは主著『自由論』のなかで、「文明社会のどの成員に対してであれ、本人の意向に反して権力を行使しても正当でありうるのは、他の人々への危害を防止するという目的の場合だけである2」と言う。ミルは、自由は最大限に尊重されるべきとする。だが、自由は無制限に認められるわけではなく、他者に危害を与えない態様で行使されなければならない(図表 1の①のケース)。
一方で、自由の制限もまた無限定に認められるわけではない。自由の制限が認められるのは他者危害の発生と、その危害がその者の意思に反するかたちで発生している場合に限定される(すなわち、危害を受ける者がその危害を受け入れている場合には自由は制限されない。図表 1の②)。また、制限の程度は他者危害の発生を抑止する程度にとどまるのであり、タバコの受動喫煙被害を例に挙げれば、喫煙行為やタバコを完全に禁止するのではなく、受動喫煙を防止できる範囲での制限(たとえば分煙)にとどめるということになる。その意味で危害を発生させる行為それ自体の排除までは求められない。
また、あえて他者危害原則と言っているのは意味がある。他者危害原則では、あくまで他者に対する危害の抑止のみが自由の制限として正当化されるのであり、「この人が社会に従わなければならない唯一の行為領域は、他の人々にかかわる行為の領域である。本人だけにかかわる領域では、本人の独立は、当然のことながら絶対的である。個人は、自分自身に対しては、自分自身の身体と精神に対しては、主権者である3」とされる。自分自身に危害を加える自己危害は仮にその当人のためを思ってであっても、個人の自由を制限し何らかの強制や干渉を行うのはパターナリズムとして排除される(図表 1の③のケース)。そもそも誰に対しても危害が発生していなければ倫理問題として扱う必要はなく、自由を制限すべき理由は存在しない(同④のケース)。
図表 1 他者危害原則の考え方
(出所)筆者作成。
②他者危害原則を食選択の倫理に当てはめる
他者危害原則を食選択に当てはめると、次のようになろう。
他者危害原理に基づいて食選択の倫理を検討することは多くの人が納得できると思われる。もちろん一般的に倫理とは「何をすべきか」に関する判断基準と理解されており、私的領域において個人が善き人になるための修養も倫理学の射程に含まれることは否定しない4。だが、個人レベルの善き生き方うんぬんよりも社会の広く(悪)影響が及ぶ問題のほうがより倫理的問題として深刻であるし、より一層倫理的問題として認識されることが多いといえる。それは以下の例題を見ても明らかである。
食品に起因する健康被害を重視する立場からすれば、Aの食選択は愚行に見えるに違いない。だが、Aの食選択を「非倫理的」とまで感じる人は少ないのではないだろうか。そう感じる最大の理由は、ポテトチップスによりAが健康を害したとしても、その結果はつまるところAだけにしか及ばないからである。
このように、ある行動や選択が他者に(悪)影響が及ぼすときほど、その行動や選択の倫理性が問われる。今日の食選択を巡る倫理問題も他者への影響を背景にしている。アニマルウェルフェア配慮の根底にはひどい扱いを受ける家畜に対する憐憫の情や愛護感情があるに違いないが、今日のアニマルウェルフェアの議論は単に愛護感情だけに依拠するのではなく、動物を感覚ある存在(sentient)として捉えることで人間との共通性を意識し、人間の食選択が動物という「他者」に危害を与えているという理解に基づいている。
さらに、危害の対象として人間のみに注目する立場を人間中心主義的倫理観とすれば、今日の議論は人間以外の生物や無生物までを含む非人間中心主義的なものに拡張されつつある。上記で見た家畜は当然に射程に入るとして、地球環境というそれ自体は感覚をもたない無生物に与える影響についても「このままでは地球がもたない」や「地球を救う」など、地球や自然を擬人化して表現されることも多く5、地球をステークホルダー(利害関係者)と捉えるトレンドも現れている6。このように、アニマルウェルフェアや環境負荷軽減の観点から倫理的な食選択を求める人たちの考え方を哲学的なワードで整理すれば、それは「他者危害原則」であると考えられる。
2. 食選択の自由と倫理とのバランスはどこに置かれるべきか
①食選択の倫理をめぐる対立
他者危害原則に基づけば食選択の自由を無制限に認めることは難しそうである。他者への危害の有無やその程度については、その分野の専門家による研究に委ねるほかないが、前編で見たとおり動物行動学や獣医学では動物に苦痛主観が存在することはほぼコンセンサスが得られており、畜産業から少なくない温室効果ガスが排出されていることも多くのデータが示している状況にあり、食選択の自由やそれを支えるフードシステム(食料・食品の生産から消費に至る一連の流れ)の危害性を全否定することはできないだろう。
一方、他者に配慮した倫理的な食選択を追求するという目的そのものが妥当だとしても、他者危害原則に基づけば無限定に食選択の自由を制限することまでは要求されない。繰り返すが、他者危害原則では、自由の制限は他者に対する危害の抑止が必要な場合に限られるし、危害の発生源それ自体の根絶までは求めていないからである。
そうなると食選択の自由と他者危害の抑制をどうバランスさせるかが難題として浮上することになる。この問題に限らず、現在の食選択やそれを支えるフードシステムに対しては多くの懸念が提示されており、これらが重要な価値を損ねたり倫理的に問題があるとみなされたりするようになっている。ただし、倫理的観点からそれらに何かしら違和感を覚え、食選択の変化を訴えるという点で共通していても、どの価値を重視するかや価値の実現方法をめぐっては多様な見解が存在し、それぞれが競合することもある。図表 2はその一例である。
図表 2 食選択の倫理に関する争点の一例
(出所)ロナルド・L・サンドラー(馬渕浩二訳)『食物倫理入門―食べることの倫理学―』ナカニシヤ出版、2019年;ポール・B・トンプソン(太田和彦訳)『食農倫理学の長い旅-<食べる>のどこに倫理はあるのか-』勁草書房、2021年をもとに筆者作成。
一口に食選択の倫理と言っても多様な見解や争点が存在し、網羅的なリストを作成することさえ困難である。また、図表 2はそれぞれの価値や課題内での主だった争点だけを示しているが、価値同士もしばしば競合する。たとえば、①環境や②アニマルウェルフェアを重視する立場は、食選択(特に肉料理)の自由の制限を主張するが、それは④の食文化(特にその文化内で肉食が重要な位置を占めている場合は)を尊重する立場と対立することもある。
また、フードテックを含む新技術をめぐっても積極的にその価値を認める人もいれば、それが食や農業の重要な価値を失わせると捉える人もいる。消費地の近郊で生産することで環境フットプリント(人類が与える環境負荷の大きさを測る指標)が削減されるため、環境重視の観点から植物工場など新しい技術による農業に可能性を見出す者もいる7。一方、農業は他産業とは異なり、自然環境や社会、文化と結びつく特別な意義があると捉える立場からは植物工場に否定的な見解が提示される。植物工場は生育環境を人工的に制御する工業的な作物生産であり、環境と調和した農的生活主義を支持するのであれば、人工環境のなかで行う農業には違和を感じるものだと主張されるのである。単に身体を維持できる栄養さえあれば事足りるという考え方では、食を生産する農業も特別なものではなくなってしまうのであり、産業主義的な農業の理解であると否定的な捉え方をする論者もいる8。
倫理的な食選択を目指すことに合意できたとしても、そのプロセスにおいていかに食料供給を確保するかも課題となる。国際連合食糧農業機関(FAO)によると、世界には2020年時点で8億1100万人が栄養不足状態にあるとされる9。多くの栄養不足人口が存在し、世界人口全員を養う十分なカロリー生産がされているにもかかわらず、大量の食品ロスや廃棄が発生していることは解決しなければならない問題である。しかし、中長期的には世界の栄養不足人口の割合は減少傾向にあり、その要因の一つに現代のフードシステムが大量の食料供給をしていることがあるとすれば、この成果を享受しつつ倫理的な問題を解決するという視点が必要になろう。
図表 3 世界の栄養不足人口の割合(%)
(出所)World Development Indicatorsに基づき筆者作成。
また、本稿では深入りしないが、食選択の倫理をめぐる別の問題も提起しておきたい。ここまで見てきたとおり、現代の食選択やフードシステムによって生じる倫理的問題を解決するために、従来の食選択とは異なる食選択が提起されている。だが、こうした様々な食選択の提案が「ガストロアノミ(食規範崩壊)」という弊害、ないし副作用をもたらしうる。これは食規範の弱体化ではなく、むしろその過剰性が原因であり、「こう食べよ、ああ食べよ」という食選択の倫理が氾濫し、かえって私たちが「では一体何をどう食べればよいのか」と途方に暮れてしまう現象を指している10。
新しい食選択の支持者たちも植物由来食品や人工肉(代替肉・培養肉)などの提案はしてくれるが、そうした提案は問題の解決というよりは原因となっている。図表 2で提示したように、現代では食選択の倫理を促す多様な視点が存在するが、その結果、食品に多くの修飾語句が付けられるようになっている。平飼い、遺伝子組み換えでない、グルテンフリー、鳥にやさしい、イルカにやさしい、スローフード、放し飼い、職人技、最小限に加工された、牧草で育てられた、持続可能、オーガニック、エシカル、フェアトレード、地場産などなど11。恐らく修飾語句のリストは減ることはなく将来的に増える一方だろうが、リストが増えれば増えるほど何を選べばいいかわからなくなってしまう。私たちは従来の食選択を否定されるストレスを抱えつつ、さりとて何をすればいいかわからない新しいストレスにさらされることになるだろう(またはすでにさらされている)。
②「より制限的でない他の手段(LRA)基準」にもとづく価値対立の調整
では、尊重されるべき価値が競合する場合、諸価値はどのように調整されるべきだろうか。その一つの参考になると筆者が考えるのが「より制約的でない他の手段(Less Restrictive Alternative: LRA)の基準」である12。LRA基準とは憲法の違憲審査基準の一つであり、規制を実現するために規制対象となる自由への制約がより小さい他の手段が存在するにもかかわらず、必要以上に制約的な規制手段の採用は違憲とする基準である。単に規制目的と規制手段が合理的関連性を満たしているというだけでは不十分で、ある規制手段と目的との間に関連性が十分であったとしても、その目的実現のために自由制約性がより小さい他の規制手段があることが示されるなら、その規制手段は違憲ということになる。
LRA基準は、規制目的が正しいものだとしても規制手段が他の価値を不当に制約させないための歯止めである。本稿の文脈に当てはめれば、アニマルウェルフェアや環境負荷軽減の追求は必要だとしても、私たち全員が食選択の自由を過剰に制限し、倫理的ベジタリアンになる義務までは必要ないということになろう。
農林水産省が2021年5月に策定した「みどりの食料システム戦略13」では農業由来の環境負荷軽減が強く意識されており、その目的達成の手段の一つとして、温室効果ガスの排出削減に資する地球にやさしいスーパー品種等の開発・普及が掲げられている。具体的な手法としては、「牛のげっぷや家畜排せつ物由来の温室効果ガスを抑制する飼料の開発」や「飼料利用性の高い家畜の改良」が挙げられている14。また、農研機構は乳用牛の胃からメタンの発生抑制が期待できる新たな細菌を発見している。メタン生成によってウシは飼料から得た栄養の一部を失っているとされ、メタン発生抑制の研究が進めば、より少ない飼料で飼育できる可能性も出てくる15。フードテックというと代用肉や培養肉などに関心が集まりがちであるが、地味ながらもこうしたスーパー品種の開発や研究の進展もまた畜産業由来の環境負荷軽減において非常に重要である。そして、これらの技術開発により肉食の自由を保障したまま畜産業による温室効果ガス排出削減が実現できるのであれば、より自由制約性の小さい手段であるといえる。
FAOも農林水産省と同様の立場である。FAOも農業から排出される温室効果ガス排出削減の必要性を認めているが、FAOが提案するのは、家畜や家畜群の生産効率を向上させる技術と慣行の活用による排出削減である。一例としては、反芻動物(特にウシ)について、消化中に発生するメタンや家畜糞尿堆肥から放出される亜酸化窒素削減につながる飼料や摂食技術などを挙げている16。
このように家畜や環境への苦痛や負荷を軽減しつつ、私たちの食選択の自由をできるだけ損ねない手法はすでに存在、ないし今後の研究によって開発される可能性がある。本稿では食選択の自由とアニマルウェルフェアや環境負荷軽減との関係を中心に見てきたが、前述のとおり食選択の倫理と一口に言っても多様な価値観や見解が存在しそれぞれが競合し得ることから、食選択の倫理をめぐる議論が社会で深まるにつれ諸価値の調整が問題になると予想される。その調整はかなりの難題になることが予想されるが、LRA基準の考え方があるべき調整の指針を提供してくれるのではないだろうか。
おわりに
前編にて私たちの食選択が他者(人間以外の動物や無生物も含む)に与える影響への関心が高まり、食選択が倫理的に重要な問題とみなされるようになってきたことを見た。何を食べるかは個人のアイデンティティ確立において重要な選択であることから食選択の自由は保障されるべきだが、その食選択の自由が他の人々や動物、地球に危害をもたらしていると認識されるようになったことで、食選択の倫理性が問われるようになったのである。研究や科学の発展により食材やその生産を支えるフードシステムがもたらす諸利益が明らかになる一方で、これまで良いとされてきたことの副作用や悪影響もまた解明されていくことだろう。従来のフードシステムが食料の生産性向上をもたらし貧困や飢餓の軽減に寄与してきたことは否定できないとしても、近代的な農畜産業や過剰な生産がもたらす動物への苦痛や環境負荷、依然として食に十分にアクセスできない人たちの存在も解決しなければならない課題として認識されるようになっている。反対に動物や環境に良い影響を与えるとされる食選択や生産のあり方が、さほどの効果がない、またはむしろマイナスになるといったことも今後の研究によって示されていくことも当然ありえる。
食選択やそれを支えるフードシステムがもたらす諸課題をめぐる研究はいまだ黎明期ともいえ、その意味で現在は課題のロングリスト作成期にあたるともいえるだろう。そして、今後さらに食選択やフードシステムがもたらす負の外部効果が明らかになるにつれ、私たちの食選択のあり方が問われる時代がしばらく続くことは疑いない。だが、前述のとおり、食選択の倫理をめぐって様々な見解が存在することを踏まえると、課題のロングリストが完成したときにわれわれが直面するのは、それぞれが尊重すべき価値を持つにも関わらず互いが競合し合う状況であり、諸価値のバランスをいかに調整するかという新しい課題ではないかと筆者は想像する。
他者に危害を与えることが明らかにされたなら、危害防止のために自由は一定の制限に服さなければならない。しかし、他者危害原則のもとでも自由は無限定に制約されるわけでもない。本稿では食選択の自由に焦点を当てたが、論争は環境やアニマルウェルフェア、社会的公正など様々な局面において発生しうるのであり、既存のフードシステムの変革が必要という点では多くの人が同意しつつも、優先すべき価値やその具体的な方法をめぐっては鋭い対立が生じ得るのであり、対立を調整するための理念や基準が必要とされることだろう。
本稿では、その調整の理念の一つとしてLRA基準を提示した。LRA基準は、必要以上に制約的な規制手段の採用は違憲とする基準であり、不必要に制約的な規制を排除できるという点で様々な価値や利害が存在する現代社会における共生の枠組みの土台となりうる理念であると筆者は考える。食のあり方がもたらす社会的・環境的な影響に関する検証を進めると同時に、諸価値の調整を支える理念や基準の探索を進めるべき時期に来ていると思われるところ、本稿が諸価値の共生の枠組みを議論する足掛かりの一つになれば幸いである。
1 本章は、児玉聡「喫煙はどこまで個人の自由か―喫煙の倫理学―』信山社、2020年に示唆を得ている。
2 J.S.ミル(関口正司訳)『自由論』岩波書店、2020年、27頁。
3 J.S.ミル(関口正司訳)『自由論』岩波書店、2020年、28頁。
4 その代表的な人物が古代ギリシャの哲学者アリストテレスであり、彼は善き人になるための徳の習得を探究した。品川哲彦『倫理学入門』中公新書、2020年、107-111頁。
5たとえば、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリ氏はCOP 26での議論を「人々や自然からの搾取」を認めるものだと批判した。”Greta Thunberg assails world leaders for ‘profiting from this destructive system’,” The New York Times, November 5, 2021.
6 「志を探して(4) ステークホルダーは地球 「自然資本」新たな指標に」『日本経済新聞』2021年12月2日。
7 佐藤光泰・石井佑基(著)野村アグリプランニング&アドバイザリー株式会社(編)『2030年のフード&アグリテック―農と食の未来を変える世界の先進ビジネス70―』同文舘出版、2020年、5頁。
8 秋津元輝「農と食をつなぐ倫理と実践―考えと行動のための指針―」秋津元輝・佐藤洋一郎・竹之内裕文(編著)『農と食の新しい倫理』昭和堂、2018年、122-123頁。
9 FAO駐日連絡事務所「世界の食料安全保障と栄養の現状」
10上田遥『食育の理論と教授法―善き食べ手の探究―』昭和堂、2021年、3頁。
11 ポール・B・トンプソン(太田和彦訳)『食農倫理学の長い旅-<食べる>のどこに倫理はあるのか-』勁草書房、2021年、222頁。
12 本章は、井上達夫「ネオ・ピューリタニズムに抗して―喫煙の人生論と法哲学―」『タバコ吸ってもいいですか―喫煙規制と自由の相剋―』信山社、2020年に示唆を得ている。
13 日本の食料・農林水産業においてもSDGsや環境を重視する国内外の動きの加速に対応するために持続可能な食料システムを構築することが急務との認識のもと、農林水産省では、食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現する「みどりの食料システム戦略」を策定した。農林水産省「みどりの食料システム戦略トップページ」
14 「みどりの食料システム戦略(本体)」10-11頁。
15 「牛げっぷ由来のメタン削減へ 乳牛の第1胃から細菌発見 栄養浪費も防ぐ 農研機構」『日本農業新聞』2021年12月8日。
16 FAO, “Key facts and findings,”
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