パリ協定の実効性を担保する強化された透明性枠組み(ETF)~パリ協定下のETFが始動~
1.動き始める最後のピース
産業革命以降の世界の平均気温上昇を1.5℃に抑制するための国際合意であるパリ協定には、そのグローバルな目標の達成に向け、各国における温室効果ガスの排出削減目標や削減行動を徐々に強化していくための仕組みが盛り込まれている(図表1)。パリ協定の下で、各国は5年おきに自国の排出削減目標(国が決定する貢献:NDC[ 1 ])を設定した後、強化された透明性枠組み(ETF[ 2 ])の下で2年おきに目標に向けた進捗状況を報告し、5年おきに実施されるグローバル・ストックテイク(GST[ 3 ])において、グローバル目標に向けた世界全体の進捗が評価される。
パリ協定が採択された2015年の国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)以降、各国はNDCで設定した2030年排出削減目標の達成に向けて、さまざまな政策や対策を実施してきた。2023年にドバイで開催された国連気候変動枠組条約第28回締約国会議(COP28)では初回のGSTが終了し、これまでの世界全体の進捗が評価された。そして2024年からは、図表1に示した削減目標・実施強化メカニズムの最後のピースであるETFが始動する。これにより、1.5℃目標の達成に向け、各国の削減目標を段階的に引き上げ、削減に向けた取り組みを加速し、世界全体および国別の進捗状況を国際的に確認・評価していくメカニズムが本格稼働することとなる。
COP28で採択された第1回GSTに関する決定[ 4 ]では、パリ協定が、目標の設定と気候危機への対応の緊急性に関するシグナルを発したことで世界的に気候変動対策をけん引した点を歓迎しつつも、パリ協定の目的と長期目標の達成に向けた全体的な進捗は順調ではない、と評価している。実際、各国が設定したNDCをすべて実施したとしても、世界の平均気温は今世紀末までに2.1~2.8℃の上昇が見込まれ、パリ協定で設定された長期気温目標と整合していないことに対する懸念が示されている。各国は、2030年排出削減目標を含む第1回NDCを完全に実施するとともに、2030年以降の第2回NDCでさらなる野心的な目標を設定することが求められている。
また、このGST決定では、ETFの完全な実施が果たす極めて重要な役割を強調するとともに、2024年12月31日までに第1回隔年透明性報告書(BTR1)を提出するという義務を改めて示すことで、パリ協定の長期気温目標の達成に向けたETFの重要性を再確認している。
NDC、GSTと並んで重要な要素であるこのETFは、どのようなプロセスによって実施され、どのようにパリ協定の実効性を担保しようとしているのだろうか。本稿ではETFの概要について概説したい。
2.パリ協定下のETFの概要
ETFは、各国のNDC達成へ向けた進捗の明確な理解と、提供および受領された支援の包括的な把握を目的としており、BTRの報告、技術専門家審査、進捗に関する促進的な多国間検討という3つのプロセスから構成されている。以下に各プロセスの概要を示す。
2.1.BTRの報告
パリ協定のすべての締約国[ 5 ]は、2年おきにNDCの達成に向けた進捗をBTRで報告することが義務付けられており、その報告要件は、2018年に開催された国連気候変動枠組条約第24回締約国会議(COP24)で採択されたモダリティ・手順・ガイドライン(MPGs)[ 6 ]で規定されている。MPGsはすべての締約国に適用され、気候変動枠組条約が採択されてから初めて、先進国と途上国が共通のガイドラインを用いて報告を行うこととなる。この点がETFにおいて極めて重要なポイントの一つであり、すべての締約国が共通のガイドラインを適用しているからこそ、これまで先進国に比べて報告要件が緩かった途上国から報告されるさまざまな情報の精度向上が期待されるとともに、締約国全体の温室効果ガス排出量の状況や削減目標達成への進捗状況を客観的かつ比較可能な形で評価することが可能となる。締約国がBTRで報告すべき情報は図表2のとおりとなっている。
NDCの達成に向けた各国の進捗状況把握という観点から特に注目すべき報告要素は、温室効果ガスインベントリとNDCの実施および達成に向けた進捗状況の情報である。温室効果ガスインベントリの章には、温室効果ガス排出・吸収量の算定結果やそのトレンド、算定方法論などの情報が含まれる。NDCに関する章では、NDCの説明やNDCの達成に向けた進捗、NDCを達成するために実施する政策・措置、排出量の将来予測などの情報を報告することとなっている。NDCはその名のとおり各国が自ら作成する目標であるが、その進捗を明確かつ客観的に評価できるよう、詳細な情報の報告が要求されている。
BTRの報告要素のうち、温室効果ガスインベントリにおける定量的な情報は共通報告表(Common Reporting Tables:CRT)で、NDCおよび支援に関する情報の一部は共通表形式(Common Tabular Format:CTF)で報告することが義務付けられている[ 7 ]。気候変動枠組条約下での報告制度では、途上国には共通の表形式を用いて報告する義務は存在しなかったが、パリ協定のETF下ではすべての締約国がこの共通フォーマットで報告することとなり、報告内容の透明性や締約国間の比較可能性が担保される形となっている。
BTRの特徴として、途上国に柔軟性(flexibility)が付与されていることにも触れておきたい。上記に示したとおり、多くの情報を報告することが義務となっているものの、一部の報告事項については、途上国の能力に鑑み、報告内容の範囲や詳細さ等に対する柔軟性が提供されている(ただし、BTRで提供される情報の根幹に関わるような報告要件(例えば、温室効果ガスインベントリにおける排出・吸収量の算定方法論に関するガイドラインや、NDCの進捗確認のための指標の報告など)には柔軟性は付与されていない)。この柔軟性は、途上国に対して永続的に報告義務の履行を免除するものではなく、途上国における国内の報告作成体制の構築や報告能力の向上に向け、一定の時間的猶予を与えるものである。それゆえ、柔軟性の適用は途上国が自ら決定することができるものの、なぜ柔軟性を適用することが必要なのかという能力的制約を明確に示すとともに、その改善のために見込まれるタイムフレームを提出することが義務付けられている。
2.2.技術専門家審査(Technical Expert Review:TER)
各国は2年おきにBTRを提出していればよいわけではない。提出されたBTRがMPGsの報告規定に則っておらず、不十分な内容であれば、本来の目的であるNDCに向けた進捗状況を的確に把握することが困難となる。そこで、BTRにおける報告内容の透明性や完全性といった報告品質を評価し、改善していくためのプロセスとして、TERが設けられている。
BTRの提出後、すべてのBTRは、条約事務局が認定した審査官による審査を受けることとなる。審査では、BTRがMPGsの報告要件を満たしているかが確認されるとともに、NDCの実施および達成に関する検討等が実施される。BTRに含まれる情報のうち審査対象となるのは、温室効果ガスインベントリ、NDCの実施・達成の進捗を追跡するために必要となる情報、および支援に関する情報である。TERの結果は技術専門家審査報告書(TERR)としてまとめられ、事務局のウェブサイトにて一般公開される。MPGsの報告要件を満たしていない場合に対する罰則などは設定されていないものの、次回以降のBTRにおける報告を改善するための勧告や推奨事項がTERRに記載されることとなる。TERを通じて各国は継続的にBTRの報告品質を改善し、より透明で完全な報告を行うことが期待されている。
2.3.進捗に関する促進的な多国間検討(Facilitative Multilateral Consideration of Progress:FMCP)
TERの趣とは異なり、FMCPは、気候変動対策や支援を実施する際の知見や経験を締約国間で共有し、パリ協定の目標に向け共に努力することを促進する多国間交流の場である。FMCPは、TERの後、すべての国に対して実施される。具体的なプロセスは、書面による質疑応答と、実施に関する補助機関会合(SBI)の期間中に開催されるワーキンググループセッションの2ステップで構成されている。ワーキンググループセッションは、対象国がBTRの内容に関する簡潔なプレゼンテーションを行った後、参加国が直接口頭での質問を行い、対象国がその場で回答する、という形態で実施される。
初めてのFMCPは2025年6月に開催予定であり、ETFが始動した直後であることから、初めてBTRを作成して直面した課題やそこから得られた教訓等、よりプラクティカルな質問が多く挙がるものと予想される。
3.ETFの開始に向けて
2024年12月31日が期限のBTR1提出に向け、各国がその準備を加速している状況にある。日本を含む先進国は、パリ協定の成立以前から、気候変動枠組条約の下で、温室効果ガス排出・吸収量や気候変動政策、および途上国への支援等に関する情報の定期的な報告を行ってきた。一方、条約下における途上国の報告義務は先進国に比べて簡素であったため、各種報告に必要な情報やデータ、報告を作成するための制度的・組織的枠組み、人的リソース、経験やノウハウが蓄積されておらず、どれだけの国が2024年末までの第1回BTR提出期限を順守できるのか見通しは不明である。
この状況に鑑み、気候変動枠組条約事務局や国際機関、先進国等がさまざまな技術的支援を提供しており、世界各国の透明性能力の向上が図られている。日本も、BTRの一部である温室効果ガスインベントリの技術的知見を共有するためのアジア地域のワークショップ(WGIA[ 8 ])や、他国とBTRの作成方法について相互に学び合う相互学習プログラム(MLP[ 9 ])、特定の国における温室効果ガスインベントリ作成を技術的に支援する二国間支援等、多岐にわたるアプローチにて途上国における技術的知見の向上をサポートしている。また、2024年11月に開催されるCOP29の議長国であるアゼルバイジャンは、ETFの円滑な開始を重要視しており、途上国によるBTRの作成を支援するとともに、COP29後も透明性に関する議論を推進していくため、「バクーグローバル気候透明性プラットフォーム」を立ち上げている[ 10 ]。
今後、途上国のさらなる経済発展が見込まれる中で、途上国からの温室効果ガス排出量をどう削減していくかが長期目標達成の鍵となる。ETFは、途上国における温室効果ガスの排出実態や削減政策・対策、および今後の排出見通し等を正確に把握し、適切に評価していくための重要な仕組みと言える。各国が作成するBTR1の提出状況やその内容、そしてその審査および多国間検討が実際にどのように運用され、パリ協定の実施をどう促進していくのか、注視していく必要があるだろう。
[ 1 ]Nationally Determined Contribution:パリ協定下で各国が策定する温室効果ガス削減目標や気候変動行動計画。
[ 2 ]Enhanced Transparency Framework:パリ協定下で各国が温室効果ガスの排出量やNDCの実施・達成に向けた進捗状況、気候変動への適応、途上国支援等に関する情報等を報告し、それらの情報を専門家が審査するとともに、各国間で気候変動行動に関する質疑応答等を行う制度。
[ 3 ]Global stocktake:パリ協定の目標及び長期目標の達成に向けた世界全体の進捗を5年おきに評価する枠組み。
[ 4 ]Decision 1/CMA.5 , Outcome of the first global stocktake <https://unfccc.int/sites/default/files/resource/1_CMA.5.pdf> 最終確認日:2024年10月24日
[ 5 ]後発開発途上国(LDCs)と小島嶼開発途上国(SIDS)におけるBTRの提出は自由裁量となっている。
[ 6 ]Decision 18/CMA.1, Modalities, procedures and guidelines for the transparency framework for action and support referred to in Article 13 of the Paris Agreement <https://unfccc.int/resource/tet/0/00mpg.pdf> 最終確認日:2024年10月24日
[ 7 ]Decision 5/CMA.3, Guidance for operationalizing the modalities, procedures and guidelines for the enhanced transparency framework referred to in Article 13 of the Paris Agreement <https://unfccc.int/sites/default/files/resource/CMA2021_L10a2E.pdf> 最終確認日:2024年10月24日
[ 8 ]アジアにおける温室効果ガスインベントリ整備に関するワークショップ <https://www.nies.go.jp/gio/wgia/index.html> 最終確認日:2024年10月24日
[ 9 ]Mutual Learning Program for Enhanced Transparency <https://www.iges.or.jp/jp/projects/transparency/mlp> 最終確認日:2024年10月24日
[ 10 ]COP29 Presidency Launches Baku Global Climate Transparency Platform to Support Developing Nations Addressing Climate Change, <https://cop29.az/en/news/cop29-presidency-launches-baku-global-climate-transparency-platform-to-support-developing-nations-addressing-climate-change> 最終確認日:2024年10月24日
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