○アルゼンチン経済は、2000年代半ばには8%を超える経済成長率を示し、主要新興国の中では中国に次ぐほどの高成長ぶりが注目された。しかし、2012年以降は、ペロン党左翼政権のもとで保護主義やバラマキといったポピュリズム的経済運営の歪みの影響が表面化し、経済不振に陥った。
○2003年から12年半続いたペロン党政権下では、特に、後半のフェルナンデス政権時代に、財政規律低下が原因で、通貨ペソへの信認が失われインフレ率が上昇した。2007年頃には1米ドル=3ペソ程度だった為替レートは、2015年11月には1米ドル=9.5ペソまで下落した。インフレ率は、2010年頃には、政府発表が約10%であったのに対し、実態的には20~30%に達していたと見られる。
○ペソ安とインフレが進行する中で、2010年頃から通貨ペソへの信認が低下し始め、輸入車を購入したり、株式を購入するなどして、資産をペソから他の資産へ移す動きが加速した。当局は、ペソ安を抑止するために、為替取引規制を強化したが、米ドルの闇市場が拡大する結果を招いただけで、結局、ペソ安を止めることはできなかった。
○アルゼンチンの輸出は、主力の大豆関連品目が比較的堅調に推移したものの、最大の輸出先である隣国ブラジルの景気悪化の影響を受け、減少を余儀なくされた。特に、ブラジル向けの主要輸出品目の中で、乗用車・トラックが減少したことが響いた。
○ペロン党フェルナンデス政権下で経済状態が悪化する中、2015年に実施された大統領選挙では、野党中道右派のマウリシオ・マクリ候補がペロン党候補を僅差で破り、政権交代が実現した。マクリ政権は、経済運営の正常化を目指しており、アルゼンチン経済は漸く健全化する見込みとなった。隣国ブラジルでも労働者党の左翼政権が2016年に崩壊し中道政権が発足しており、ブラジル、アルゼンチンという南米の2大国で自由化に反対する左翼政権が終焉した。これをきっかけに、両国が加盟する南米南部共同市場(メルコスール)も、従来、閉鎖的な関税同盟と見られがちであったが、今後は、他地域との協力を拡大するなど活性化するものと期待される。
○アルゼンチン政府は、2001年の通貨危機の際に対外債務デフォルトに追い込まれ、その後、デフォルトした国債を新たな国債に交換する債務再編を行った。この債務再編に応じなかった債権者(ホールドアウト債権者)のうち、米国の投資ファンドがデフォルトした国債の元利支払いを求めてアルゼンチン政府を米国で提訴し勝訴した。アルゼンチン政府は、2016年2月に米国の投資ファンド側と和解し、デフォルトは解消された。これにより、アルゼンチンは国際金融市場へ復帰することとなった。対アルゼンチン金融取引が正常化することで、今後、海外からアルゼンチンへの投資増加が予想され、鉱物資源開発やインフラ整備などの分野でのビジネスチャンス拡大が見込まれる。
○今後のアルゼンチン経済のゆくえを考える上で、経済運営正常化に伴う「痛み」にアルゼンチン国民が耐えられるかが大きな焦点となる。マクリ新政権発足後、為替規制を撤廃したため為替相場は1米ドル=15ペソ台まで急落し、また、公共企業への補助金を削減したため公共料金が上昇した。これらの影響で2桁のインフレ率が当面続くと予想され、国民生活は苦しい状態が続く見込みである。もし国民が改革に伴う「痛み」への不満を強めれば、マクリ政権が退陣し再びポピュリズム政権が誕生することにもなりかねない。そうなれば、アルゼンチン経済の健全化は遠のいてしまうだろう。
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