1. はじめに
新型コロナウイルスの感染拡大により、企業はさまざまな影響を受けている。その一つが人材育成のあり方だ。人材育成の現場では、集合型研修からオンライン研修への切り替えが急速に進んでいるが、これは手段を転換することで本来の研修効果の維持に努める一例といえる。
一方で、手段の転換が難しく、多くの企業で否応なく中断となっている研修がある。それは、日本から海外に従業員を派遣する「海外トレーニー制度」である。
2017年に当社が行った「グローバル経営人材の育成に関する実態調査1」では、グローバルレベルでビジネスを展開している企業の5割以上が、若手層のトレーニー派遣(1年未満)を実施していることが明らかになった。ここでの「若手層」は概ね32歳以下を指しており、比較的多くの企業で育成を目的として海外に若手人材を派遣しているといえる。
しかし、この調査当時から状況が一変した今、渡航制限といった物理的制約もあり、多くの企業は海外トレーニー制度を一時中断している。これは、企業に対しても、海外に行くことを予定していたトレーニー本人に対しても、大きな影響を与えているだろう。
国内の集合型研修と同様に、海外トレーニー派遣を「オンライン型海外研修」に切り替えるという選択肢もないわけではない。しかし、「海外の職場で実際に働いて得られる効果」は言わずもがな大きく、これこそが海外トレーニー制度の醍醐味でもあり、オンライン研修で同じ効果を得るのは難しいだろう。そのため、新型コロナウイルスの感染拡大が一定程度収まり、渡航制限が緩和された暁には、海外トレーニーの派遣を再開したいと考えている企業が多いと思われる。強制的な中断を余儀なくされている今はまさに、企業が海外トレーニー制度にまつわる以下のような問いへの答えを探求する、絶好の機会ではないだろうか。
- 自社はなぜ海外トレーニーを派遣し続けるのか
- BeforeコロナとAfterコロナ2で海外トレーニー制度のあり方は変わるか
- どうすれば海外トレーニー制度の効果を最大化できるか
前編・後編の2部構成となる本レポートでは、英国での海外トレーニー経験(2017年11月~2018年5月)がある筆者自身の事例も踏まえながら、海外トレーニー制度のねらいとその効果の最大化について考察する。Afterコロナでの海外トレーニー制度の再開や新設を検討されている経営者や人事部門のご担当の方々にとって、考えを深める一助となれば幸甚である。
2. 海外トレーニー制度のねらい
「海外トレーニー制度」は、企業によってその細かな定義は異なるものの、一般的には「人材育成を目的として若手社員を海外拠点等に派遣する制度」を意味する。希望者が手を挙げる「公募選抜型」、もしくは、対象者を会社が指名する「アサイン型」のいずれか(または併用)で運用されていることが多い。海外トレーニー制度のねらいは、各企業がそれぞれ掲げているが、どのような時間軸で考えるかによっておおむね以下のように分類できる。
- 短期的視点
語学力や異文化適応力の向上、グローバルな視野獲得など、トレーニーのスキルアップ - 中期的視点
近い将来の海外出向の準備として、海外での業務・問題解決プロセスを理解することや、 生活様式に順応すること - 長期的視点
企業が将来のグローバル経営幹部の候補者母集団を形成すること
このように3つに分類した場合、経営者や人事部門が重視すべきは「将来のグローバル経営幹部の候補者母集団形成」という長期的視点に立ったねらいである。なぜなら、グローバルにビジネスを展開している企業の経営者が抱える課題意識はこの点に集約されるからだ。
前述の実態調査では、7割以上の企業が「グローバルトップ・グローバルリーダー3の量的・質的不足」について問題意識を持っていることが明らかになった。また、グローバルトップ・グローバルリーダーが保有すべき経験として「海外の勤務経験(1拠点・複数拠点)」が挙げられている。すなわち、「海外勤務経験を積んだグローバル経営人材を質・量ともに充実させること」に経営者は課題感を持っているのだ。この課題解決の手段として海外トレーニー制度を機能させるべきだろう。
また、海外トレーニー制度は他の人材育成施策と比較しても、群を抜いて多額のコストを要するものであり、短期的な効果だけを見込んでいるものではないはずである。トレーニーの海外派遣を一時のイベントとして捉えるのではなく、全社的な経営戦略と紐づく人材育成戦略の1つとして、長期的プロセスで捉えることが重要だ。すなわち、経営目標を達成するためにどのようなスキルセットやマインドを有した人材が将来必要になるか考え、その人材の育成・確保のための手段の1つとしてトレーニー制度は活用される必要がある。
3. Afterコロナで高まる「短期間効果最大化」ニーズ
BeforeコロナとAfterコロナで海外トレーニー制度に変化はあるだろうか。前章で解説した「海外トレーニー制度のねらい」は変わらない一方、そのあり方には変化が見られるかもしれない。
新型コロナウイルスの未曽有の世界的感染拡大は、「感染症リスク」が社会全体やビジネスにもたらすさまざまな影響を顕在化した。「感染症のために世界中のトレーニーを途中帰国させる」といった事態を、Beforeコロナに想定できていた経営者や人事担当者はほとんどいないはずだ。しかし実際、多くの企業で対応に迫られる状況が発生した。
Afterコロナでも、新型コロナウイルスの影響を完全に無視できるような状況は考え難く、より一層このリスクに向き合いトレーニー制度を運用する必要がある。感染症リスクを回避・低減しつつ、前述の長期的視点に立ったねらいを達成するには、「期間」と「人数」についての再精査が必要になる。
1つ目の「期間」に関しては、リスク低減の観点のみから考えると、派遣期間の短期化が有効である。先の未来になればなるほど、状況を予想することは当然難しく、不確実性が高まるからだ。しかし、期間を短期化することで、将来のグローバル経営幹部の候補者育成につなげられなければ、本末転倒である。将来のグローバル経営幹部候補として必要な知識・スキルを習得するために、トレーニーとしての海外経験期間はどの程度が適正か、さらに言えば、リスク低減の観点からどの程度の短期化が可能かについて、これまで以上にシビアに精査する必要があるだろう。
2つ目の「人数」に関しても、グローバル経営幹部候補の適正な母集団規模について、これまで以上に厳格に検討すべきであろう。リスク低減の観点にのっとれば、「期間」同様、派遣人数はなるべく厳選することが有効である。また、新型コロナウイルスの感染拡大状況やワクチンの普及状況によっては、派遣できる国や地域が制限されることも留意しておく必要があるだろう。
このように「期間」と「人数」を厳しく再精査したうえで、感染症リスク低減のために「短期化」や「厳選化」が進んだとしても、海外トレーニー制度によって創出したい効果は不変である。むしろ、厳選したトレーニーが将来の経営幹部になる確率を高めるためには、創出する効果をより高くする必要があると考えることができる。換言すれば、Afterコロナでは海外トレーニー制度の「短期間効果最大化」が求められるということである。
4. 海外トレーニー派遣の効果
前章では、トレーニー制度が「短期化」・「厳選化」される中でも、その効果を最大化して創出する必要があることを説明した。その具体的な方法については後述するが、そもそも海外トレーニー派遣による効果とはどのようなものだろうか。トレーニー、派遣元、派遣先の3つの視点で主な効果を整理したい。
(1) トレーニーに与える効果
トレーニーに与える効果は、スキルの向上とマインドの変容の2つがある。
「海外トレーニー制度を通じて『開発したい能力』は、第1に『異文化ビジネス環境への適応力』(91.3%)」(白木、2014)4である、とする調査報告がある。ここでいう「異文化ビジネス環境への適応力」というのは、「日本での常識や慣習が通用しない海外の職場でビジネスを推進する力」と言い換えられるだろう。海外での実務経験を通して異文化理解力やグローバルリーダーシップなど、さまざまなスキルを向上させることは、企業から強く期待されると同時に、トレーニーに与える効果の1つといえる。
マインド面での変容は大きく2つある。1つは、日本の特殊性に気づき、多様性を受け入れるマインドの醸成だ。日本で働いている時は、国民性や商慣習の面で自身がマイノリティーになる機会は少ないが、海外の職場では間違いなく自身がマイノリティーになる。身をもってこの経験をすることで初めて自身の視野も広がり、多様性についての理解や異文化理解も深まる。
もう1つは、「胆力」の向上である。「胆力」とは、「何か問題が起きても、恐れたり尻込みしたりしない精神力」だ。筆者の経験上、これは海外での経験を通じて格段に高められると感じている。なぜなら、海外ではトレーニーにとって想定外のことが頻繁に発生するからだ。その頻度は日本にいる時とは比べものにならない。こうした中で、自身の頭を捻り、決断し、行動する。これを何度も繰り返し、成果につなげることで強い「胆力」が身につくのだ。ただし、トレーニー経験の中にチャレンジングな取り組みと成功体験があることが条件になる。この「胆力」は、将来の経営幹部候補としてステップアップする上で、必要な要素になるだろう。
(2) 派遣元に与える効果
派遣元に与える効果は、大きく3つある。
まず、前述の通り、将来のグローバル経営幹部の候補者母集団の形成につながることが1つ目の効果だ。繰り返しになるが、この長期的な効果を経営者や人事部門は重視すべきである。
2つ目は、トレーニーのみならず、派遣元の他の従業員のグローバル意識の底上げにつながることである。身近な先輩社員の海外での取り組みや経験を知ることができれば、派遣元従業員も海外拠点や海外での業務に関心を寄せる機会になり、グローバル意識の向上にも寄与する。ただしこれは、いかにトレーニーが経験や学びを派遣元に還元できるかによる部分が大きい。
3つ目は、派遣先の状況把握や派遣先との連携が円滑になることだ。派遣先の状況について、定量的情報(財務情報や人員数など)は把握できても、定性的情報(従業員の働き方やその会社の雰囲気など)を日本本社が把握するのは困難なことも多い。こうした際に、派遣元はトレーニーをパイプ役として情報を獲得し、必要な部署や関係者とスムーズに連絡をとることができる。同じ海外拠点に出向者がいる場合でも、拠点全体に目が配れていないこともあるため、トレーニーの存在はさらなるパイプ強化につながるだろう。これは、海外出張のハードルがより高くなることが予想されるAfterコロナにおいて、これまで以上に価値が高まる効果といえる。
(3) 派遣先に与える効果
派遣先に与える効果は、大きく3つある。
1つ目は、派遣先組織の社員にとって異文化理解につながることである。トレーニーの受入は、派遣先の多様性向上に寄与する。特に、派遣先の部署の従業員が日本人と共に仕事をしたことがない場合、多くの気づきや刺激をもたらすだろう。筆者の英国での経験はこのケースに当てはまる。派遣先拠点の人事部門に日本人が派遣されることは初めてであり、その部署の従業員は、日本の文化や日本人の仕事観に興味を持っていたため、こうした内容についてコミュニケーションを取ることも多く、組織活性化のきっかけにもなったと考えている。
2つ目は、本社の企業文化や企業理念の理解につながることである。普段、海外拠点の従業員が日本本社の企業文化や理念を実感できる機会は少ない。啓発に力を入れている企業でも、海外従業員がそれらを十分に理解し共感することには課題を持っているケースが多いのではないだろうか。ここで、重要な役割を果たすのがトレーニーである。トレーニーが企業文化や理念を積極的に伝えたり自ら体現したりすることで、海外従業員がこれらについて身をもって理解する貴重な機会になるだろう。
ここで、企業理念の共有に関しての、筆者自身の取り組みを1つ紹介したい。筆者は英国のグループ会社における中途入社者受入教育の改善に取り組んだ。その中で、日本本社の歩みや企業理念について共有するセッションを組み込み、現地人事部の従業員もこれらを説明できるような体制をつくることができた。筆者の帰任後も、この体制は継続されていると聞いている。日本本社から派遣されたトレーニーだからこそできる取り組みや、派遣期間終了後も現地で継続できる仕組みづくりは、派遣先に与える効果が大きくなることを実感できた一例である。
3つ目は、派遣先が日本の本社と連携する際のパイプを強化できることだ。これは派遣元に与える効果の逆もまた然りということであり、詳細な説明は不要だろう。帰任後にもトレーニーに対して、海外の従業員から日本本社に関する問合せの連絡等が来るようであれば、効果を発揮していると捉えられる。
以上、海外トレーニー派遣による主な効果を整理したが、特に留意したいのは「(3)派遣先に与える効果」だ。トレーニーの受入でさまざまな負担が派遣先には生じる一方、派遣先にとってのメリットが軽視されていることが多いように感じる。残念ながらそれでは、海外トレーニー制度に歪みが生じる。まずは、派遣元・派遣先の人事部門同士で海外トレーニー制度の互いのメリットについて共通認識を持つことが重要だろう。そして、先に述べた一例のように、派遣先の組織が効果を感じられる事例を積み重ね、「トレーニーを今後も喜んで受け入れたい」という声が海外から上がるような状況を創り出すことが理想である。
前編のまとめ
前編では海外トレーニー制度のねらいについて整理し、Afterコロナにおいては、「短期間効果最大化」が求められることを解説した。後編では、海外トレーニー制度の効果を最大化するための施策について考察していく。
1 大手企業におけるグローバル経営人材の育成に関する実態調査 | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング (murc.jp)
2 本レポートでは、新型コロナウイルス感染拡大が一定程度収まり、海外渡航制限が緩和された状況を “Afterコロナ” と称する
3 グローバルトップは、グローバル全体最適の視点でグローバル経営を担う経営者・役員クラスを指す
グローバルリーダーは、海外拠点の社長・副社長クラスを指す
4 白木 三秀 「グローバル人材育成としての「海外トレーニー制度」:その実情と諸課題」早稲田商学439号(2014年3月) 896頁
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