コーポレートガバナンス・コード(CGC)改訂を契機とした「広義の知財(知財・無形資産)」による価値創造のための戦略構築

2022/02/08 米谷 真人、鈴木 一範、川村 浩平
ガバナンス・リスク・コンプライアンス
ガバナンス

1. はじめに

上場会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を目的に、我が国で2015年に金融庁と東京証券取引所が策定したコーポレートガバナンス・コード(CGC)は、2018年の改定を経て2021年6月に2回目の改訂が行われた。この2回目の改定において、初めて知的財産(知財)に関わる項目が盛り込まれたことに注目が集まっている。具体的には、人的資本・知財への投資等の重要性に鑑み、これらを資産と捉えた経営資源の配分や、事業ポートフォリオに関する戦略の実行が、企業の持続的(サステナブル)な成長に資するように、取締役会が主導して実効的な施策を推進することと、投資家・金融機関等への開示が求められている。

これを受けて内閣府は、CGC改訂における知財への対応に関するガイドラインを議論する検討会を設置し1、2021年12月にこの案を公開した(図表1)。ガイドライン案では、「知財・無形資産」を、従来から知財の中心である特許に限らず、社内の幅広い無形資産を含めると定義している。また、競争力の高いビジネスモデルを構築し、サステナブルな経営を推進するためにも「知財・無形資産」を経営戦略に組み入れて活用するよう提言されている。さらには、知財部門等の専門部門だけではなく、取締役会がこの知財・無形資産への投資と活用を主導し、その活動を投資家や金融機関へ情報開示したうえで対話をすべきだと強調している。

CGC改訂における知財・無形資産の情報開示の本質は、単に企業がそのような開示を「実施(comply)」するだけではない。価値創造やキャッシュフローの創出に結びつけるプロセスに知財・無形資産を活用し、投資家や金融機関とサステナブルな経営について対話する継続的な活動が期待されている。

本稿では、CGC改訂の対応にとどまらず、その本質的な価値創造に向けた「知財・無形資産戦略のあるべき姿」を実現する戦略のあり方を提案したい。今回の改訂は東証再編過程における変更となっており、特にプライム市場に帰属する企業は速やかな対応が求められている。従来の「知的・無形資産」として真っ先に挙げられる「特許」を多数保有し、それを事業活動の中で日々活用している企業に限定した話ではなく、特許がビジネスモデルの中心を担わない企業でも、知財・無形資産をより広いスコープで捉えて、知財戦略を構築し実行していく必要がある。CGCへの対応の中で「広義の知財(知財・無形資産)」を自社内で定義し、それを活用したイノベーティブな価値創造プロセスを推進することは、会社を変革していくチャンスにもなり得る。

そこで本稿では、まず知財・無形資産の現状を説明し、筆者が考える広義の知財(知財・無形資産)戦略の具体策を紹介する。

【図表1】 知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドライン全体像

図 ガイドライン全体像

(出所)知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドラインより転載

2. 知財権中心から、知財・無形資産へ

2021年6月に示された改訂版CGCにおいて、5つある基本原則のうち2ヵ所に知財に関わる項目が追加された。

一つ目は、「3.適切な情報開示と透明性の確保」の「3-1.情報開示の充実」の補充原則の項目である。ここでは「上場会社は、経営戦略の開示に当たって、自社のサステナビリティについての取組みを適切に開示すべきである。また、人的資本や知的財産への投資等についても、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである」と明記され、投資家、金融機関等へのサステナビリティに関する取り組みや人的資本や知的財産への投資に関する情報の開示が求められている。

二つ目は、「4.取締役会等の責務」の「4-2.取締役会の役割・責務(2)」の補充原則の項目である。「取締役会は、中長期的な企業価値の向上の観点から、自社のサステナビリティを巡る取組みについて基本的な方針を策定すべきである。また、人的資本・知的財産への投資等の重要性に鑑み、これらをはじめとする経営資源の配分や、事業ポートフォリオに関する戦略の実行が、企業の持続的な成長に資するよう、実効的に監督を行うべきである」と記され、実行の主体が取締役会であることが期待されている。

これを受けて内閣府が設置した知財投資・活用戦略に関する検討会(検討会)1では、特許を始めとする無形資産を「知財・無形資産」として投資・活用していくことで、日本企業による稼ぐ力を強化し、イノベーションの活性化を図っていくことが急務だとしている。従来の知財活動は、特許・実用新案・意匠(デザイン)を中心に、出願・登録した発明の保護を行うための法的手続きが主な活動であった。そのため、知財権を中心とする知財の活用がビジネスモデルの中心ではない企業においては、知財戦略を必ずしも重視してこなかった経緯がある。今回の改訂では、業種に限らずあらゆる企業に対して知財・無形資産を活用したサステナブルな企業経営が求められている。そのため、各企業ではこれまでの知財権中心の知財という概念から、より広い概念で知財・無形資産を捉え直し、各企業で何が知財かを再定義するとともに、それを活用しイノベーティブに成長するための新しい戦略が必要となっている。

改訂版CGCが知財・無形資産として挙げるのは、従来のいわゆる知財権としての特許権や実用新案権、意匠権、さらには著作権等に加え、技術・ブランド・デザイン・コンテンツ・データ・ノウハウ・顧客ネットワーク・信頼やレピュテーション・バリューチェーン・サプライチェーン、さらにはこれらを生み出す個々の「人財」やモノ等によって構成される組織能力・プロセス等である。これらは、以前は知財として扱われてこなかった「広義の知財(知財・無形資産)」が含まれている(図表2)。広義の知財(知財・無形資産)が、他社の製品・サービスとの差別化や価格決定力の維持・強化、あるいは破壊的イノベーションによる競争環境の転換をもたらしていく源泉となり得ることから、競争力を高めるためには必要不可欠な要素とされている。

【図表 2】 従来の知財と知財権の範囲・CGC改訂後の知財・無形資産

図 従来の知財と知財権の範囲・CGC改訂後の知財・無形資産

(出所)内閣府「今後の知財・無形資産の投資・活用戦略の構築に向けた取組について」を基に当社作成

3. 知財・無形資産の活用を利益率の差につなげグローバルで勝ち続ける企業

このような「知財・無形資産」という、財務諸表には現れない強みに着目した企業価値評価において先行するのが欧米各国だ。欧米等では、結果として企業価値である株価が、バランスシート上の保有資産を大きく上回る現象が起きている。この現象は、よりグローバルでの競争力が求められる昨今、生産設備等の「有形資産」よりも、イノベーションの源泉となる「知財・無形資産」への投資・活用がますます重要であるという認識が、投資家の間で広がりつつあることを裏付けている。

政府の成長戦略実行計画(2021年6月18日閣議決定)では、製造コストの何倍の価格で販売できているかを示すマークアップ率(販売価格÷コスト)が、日本はG7諸国の中で最も低い1.3倍という数値にとどまっている背景について議論された。米国や欧州企業ではこの指標が急速に上昇する一方で、日本企業は低水準で推移している。

この背景にあると考えられているのが、知財・無形文化への投資と活用における差異である。欧米の優良企業では、経営戦略において、知財・無形資産への投資と活用を通じて競争優位を確立して製品価値を引き上げ、高い利益率に結びつけている点が日本企業と明らかに異なっており、それが利益率の差につながっているとみられる。また、日本には歴史的に簿価に基づく企業価値評価の文化があり、それにより有形資産に投資することを重視する傾向が根強いという事情も存在する。

この現状を変えるために必要となるのが、説得力のある開示・説明だ。検討会では、競争優位性を構築すべき経営環境に直面しながらも、投資や活用の状況を説得力のあるロジックやストーリーで、投資家に対して開示・説明することが、将来の競争力も踏まえて企業の価値をより適切に評価されるという点において重要である、との指摘が上がった。言い換えれば、製品・サービス価格の安易な値下げを回避しながら、高い利益率を追求して、価値創造やキャッシュフローの創出につなげるビジネスモデルを展開するためには、知財・無形資産への投資と活用を積極的に展開することが欠かせない。

4. 知財・無形資産の投資・活用戦略の構築・開示に向けた対応ガイドライン案が示す開示の流れ

2021年12月、検討会は企業側に知的・無形資産の投資・活用戦略の構築・開示の公表を促すためにガイドライン案を策定した。このガイドライン案では、図表1に示されているように、まず企業が自社の現状の姿を正確に把握すること、そして目指すべき将来の姿を描き出し、これらの差分を認識することで、知財・無形資産の維持・強化に向けた投資と活用を促進するための知財戦略を構築し、これらを用いて投資家とのコミュニケーションを進めることを求めている。

この取り組みを進めるにあたり、企業や投資家・金融機関等に求められる5つのプリンシプル(原則)を挙げている。このプリンシプルに対して、知財・無形資産の投資・活用戦略の構築・開示・発信に向けて、企業がとるべき7つのアクションの概略を以下に示す。

(1) 現状の姿の把握

自社の現状のビジネスモデルと強みとなる知財・無形資産の把握・分析を行い、自社の経営にとってなぜ知財・無形資産が必要であるのかという現状の姿を正確に把握する。

(2) 重要課題の特定と戦略の位置づけの明確化

技術革新・環境・社会をめぐるメガトレンドのうち自社にとっての重要課題(マテリアリティ)を特定し、どのような知財・無形資産が自社の競争力や差別化の源泉となる強みで、どのように現在および将来の価値創造やキャッシュフローの創出につながるのかを把握し、そのうえで注力する知財・無形資産の投資・活用戦略の位置づけを明確化する。また、IPランドスケープ等を使って、他社比較から相対的な位置づけについても把握・分析する。

(3) 価値創造ストーリーの構築

知財・無形資産の価値化が、どのような時間軸でサステナブルな価値創造に貢献していくかについて達成への道筋を描き共有化する。具体的には、目指すべき会社の姿を描き、強みとなる知財・無形資産を、商品・サービスの提供や社会価値・経済価値にいかに結びつけるかの価値創造ストーリーを構築し、将来に向けどのようなビジネスモデルによって競争優位・差別化を維持し、利益率の向上につなげていくか検討し、定性的・定量的に説明する。

(4) 投資や資源配分の戦略の構築

知財・無形資産の把握・分析から明らかとなった現状の姿と目指すべき将来の姿を照合し、そのギャップを解消し、知財・無形資産を維持・強化していくため、あるいは損失リスクに対してどのような方策を講じていくかの投資や経営資源配分等の戦略を構築し、進捗をKPIの設定等によって適切に補強されたロジックを構築する必要がある。

(5) 戦略の構築・実行体制とガバナンス構築

戦略の構築・実行とガバナンスのため、取締役会で知財・無形資産の投資・活用戦略について充実した議論ができる体制を整備するとともに、社内の関係部門が横断的かつ有機的に連携し、取締役会による適切な監督が行われる体制を構築する必要がある。

(6) 投資・活用戦略の開示・発信

法定開示資料の充実のみならず、統合報告書、コーポレートガバナンス報告書、IR資料、経営デザインシート等、さらには、広報活動や工場見学といった機会等も効果的に活用し、投資家・金融機関に説得的に知財・無形資産の投資・活用戦略を開示・発信し、骨太な議論へと昇華させる。

(7) 投資家等との対話を通じた戦略の錬磨

投資家や金融機関その他の主要なステークホルダーとの対話・エンゲージメントを通じて、知財・無形資産の投資・活用戦略を磨き高める。

 

さらに、上述の7つのアクションを基に、効果的に開示・発信を行ううえで留意するべきポイントとして、以下の3点に留意して開示を行う必要があることも述べられている。

① 定性的な説明に加え、定量的な指標(KPI等)を効果的に用いること

  • 自社の業種・事業形態・ビジネスモデルに即して、どのような指標が企業価値の向上に寄与しているかを検討し、用いる指標を抽出する
  • 客観性の高い指標を用いることにより、説得力が高まる
  • 定量的な指標はタイムラグが発生することに留意する
  • 指標を開示すること自体が目的とならないように注意する
  • 業種・業態・ビジネスモデルごとにそのような指標を用いるのが効果的かについては、各企業の試行錯誤とともに、学術的な研究が進められることが期待される

② さまざまな媒体を通じて戦略を開示・発信すること

  • 統合報告書、コーポレートガバナンス報告書、IR資料等既存の媒体の活用、中でも統合報告書が効率的であると考えられる
  • メディアや工場見学会等を通じた開示・発信も有効に活用する

③ セグメント単位ごとに戦略を開示・発信すること

  • セグメント別に情報を開示・発信しなければ、投資家や金融機関が的確に評価・分析することが困難となる
  • すべての知財・無形資産について開示・発信しなければならないわけではなく、経営戦略・事業戦略にとって重要なものについて構築・開示・発信することが求められる

CGCは、大企業を中心とする上場企業を対象の中心としているため、検討会が示したガイドライン案自体も、取締役や経営陣を始めとする経営戦略、事業戦略に関わる方への活用ツールとして想定されている。一方で、知財・無形資産の活用に関する考え方を活用する対象については、中小企業やスタートアップも含め広く意図されている。たとえば、ガイドライン案では、自社の知財・無形資産の投資・活用戦略を金融機関に的確に評価してもらい、必要な資金調達につなげる必要がある中小企業やスタートアップの活用を想定していると述べている。保有する有形資産が少ない中小企業やスタートアップなどでも、自社の知財・無形資産の投資・活用戦略を開示して積極的に投資家・金融機関に訴えかけることで評価してもらい、必要な資金調達につなげていくことも重要な戦略のひとつと考えられます。つまり、上場・未上場や会社の規模などに関係なく、特許以外に、ノウハウや「人財」に紐づく知見等の知財・無形資産も含めて考え、経営戦略に取り込んで新たな価値を生み出す源泉になっているかをアピールすることは、事業規模や成長フェーズに関わらず、今後の企業経営にとって特に有効な手段だと言える。

5. 当社が提供する、知財・無形資産の積極的な投資・活用を目指す「広義の知財(知財・無形資産)」戦略構築の手順

それではCGC改訂と検討会のガイドライン案を基に、上記で示した7つのアクションと、開示する際に留意する3点を踏まえて、実際にどのように戦略構築を進めていけばよいだろうか。現状の姿の把握から、価値創造ストーリーの構築を行い、投資・活用戦略の開示・発信までを的確に進めていくにあたり、当社では以下の手順と内容での進め方をご提案している(図表3)。

【図表3】 当社がご提案する、知財・無形資産の投資・活用戦略構築の手順

図 当社がご提案する、知財・無形資産の投資・活用戦略構築の手順

(出所)当社作成

(1) 知財・無形資産の棚卸・整理

従来、特許の戦略構築においては、特許マップという形で個別技術とアウトプットとしての製品や用途等の軸で整理されている企業も多い。当社では、より広い知財・無形資産の特定(棚卸)と整理を行うためにはまた別の整理軸が必要だと考えている。具体的には、用途・製品やサービス等事業のアウトプット、さらには業務としての中間アウトプット(図面作成・経理入力・報告書作成・共同研究推進)等も含めた「知財アウトプット」と、個別の要素技術や知見という「知財アセット」とに分けて、整理するためのキーワード抽出が有効である。

このように知財・無形資産を整理していった場合、必ずしも特許にならないようなノウハウや・コツ等も含めて、自社の業態に見合った整理キーワードを設定することが重要である。これらをタグキーワードとして用い、広義の知財(知財・無形資産)を整理・可視化していくとよい。

【図表4】 「知財アウトプット」および「知財アセット」のタグキーワード抽出例

図 「知財アウトプット」および「知財アセット」のタグキーワード抽出例

(出所)当社作成

(2) 知財アセットと「人財」資産(ヒト)・事業の紐づけによるDB構築

特許情報については、特許を多数保有する企業等では従前から整理されていると考えられるが、より広義の知財(知財・無形資産)を把握するためには、知財・無形資産に対して新たに特許に準ずる文書等を作成するよりも、これまでの業務で生産されてきたデジタル情報を活用することが肝要である。そのためには、業務上共有されている文書ファイル、図面データ、顧客管理情報、業務管理情報等を、個々の社員が知財として活用可能な状態とすることが重要だ。具体的には、これら自社の知的生産活動にとって重要な情報を、「知財アセット」として整理し、さらにそれを保有する「人財」およびそれらにより生み出される「知財アウトプット」と紐づけていく。これによって、目的に合わせた知財へのアクセスや、より詳細な知財・無形資産情報に直接アクセスするための「人財」との紐づけが可視化できる。

また、これらの情報は、業態に関わらず、あらゆる会社で社内の知見・ノウハウとして蓄積されている。これをいかに社内で有用な形で活用・共有・再生産させる仕組みを構築するかどうかは、イノベーションの創出や業務の効率化に大きな影響を与え、社内での知的・無形資産の活用において最も重要だとも言える。知財・無形資産情報の生産には必ず「人財」が介在している。社内でそれらを活用する場合、より詳細な知財・無形資産情報に直接アクセスする必要性が出てくることが想定される。その際、DBを活用して知見を持つ「ヒト」に聞きに行けるようになれば、知財アセットが新たな知財アセットを再生産し知財の波及効果が拡大するという、イノベーションの好循環を期待できる。

【図表5】 知財アウトプット-知財アセット-「ヒト」の整理紐づけによる「広義の知財DB」

図 知財アウトプット-知財アセット-「ヒト」の整理紐づけによる「広義の知財DB」

(出所)当社作成

(3) 「広義の知財DB」を活用した、事業戦略の可視化・開示例

上述のように知財・無形資産を抽出し、ヒトや事業と紐づけることは、さまざまな領域での活用方法が考えられる。たとえば「ヒト」に紐づく「知財アセット」と「知財アウトプット」をスコア化し、図表6のようにスコア積算値を集計して整理すれば、知財アセットが「人財」を介してどのような知財アウトプットにつながっているかを可視化できる。

この知財アセットが特許である場合、可視化したものは「特許マップ」である。検討会はガイドライン案で、従来は特許の分析を中心に実施されてきた「IPランドスケープ」の手法を、さらに幅広い知財・無形資産の分析に活用することを提案している。この手法を用いることで、知財アセットの現状が相対的にどのような位置づけにあるか把握・分析可能となる。これは従来からすでに知財部門等で特許をめぐって行われてきた手法と同じである。

特許以外の知財情報も含めた、広義の知財(知財・無形資産)をマッピングし、他社と比較することよりも、重要なのは自社内の「知財アセット」と「知財アウトプット」を踏まえた配置を考え、広義の知財と「ヒト」との結びつきや強度を可視化することである。これによって、自社の強みを活用した将来への事業戦略や、自社の弱みを補填するための投資戦略等、具体的な戦略を知財・無形資産の可視化を起点に構築することが可能となるためだ。たとえば、図表6「知財アセット活用スコアマッピング」を作成することで、投資家に対して「知財アセット」の充当が必要な領域において投資の必要性を説明でき、その投資により他の「知財アウトプット」への波及効果、さらには売上向上効果の予想までもが説明できるようになる。

【図表6】 「広義の知財DB」を用いた情報活用の可視化の例

図 「広義の知財DB」を用いた情報活用の可視化の例

(出所)当社作成

また、構築される知財・無形資産の配置の将来像を描くことは、自社の強みを活かした将来事業を構築するためのストーリーを論理的に説明するとともに、中長期的の経営戦略として打ち出すことにもつながる。その過程で、経営者自身も自社の知財を活かせる事業となっているか、社内の「ヒト」の配置が効率的なアウトプットに資するように適切な配置となっているか等、知財・無形資産を指標とした事業の把握も可能となる。

社内における個々人のレベルでのデータベースの活用例としては、知見のデータベースでの情報検索が挙げられる。格納されるデータを、他者が見て理解でき直接利用できるかどうかは、業務内容や事業形態により大きく違うと考えられるものの、類似業務を行う社員同士では、類似の書面や算出方法等を記載したファイルの探索や、過去事例のレポート等の情報は有用である。さらには、類似事例を過去に扱った可能性のある「ヒト」情報を検索し、直接社内のヒトへコンタクトを取りに行くための入り口となる情報としての活用も考えられる。

また、図表7のように、「知財アセット」を「ヒト」と紐づけた情報をネットワークとして可視化することで、社内のセクターごとの「知財アセット」の配置を俯瞰的に把握できる。これは、新規のプロジェクトを立ち上げる際に、知見を多く保有する「人財」を、「ヒト」情報を基に抽出することや、社内ネットワーキングを促進して知財力を強化させること等の場面で活用できる。さらには、必要アセットを通した部署間でのアドバイザリーとして連携を依頼する「人財」を活用する等、「ヒト」情報の活用は知財情報を基にした組織力強化の推進に資すると考えられる。

【図表7】 「広義の知財DB」を用いた知財アセットのネットワーク可視化

図 「広義の知財DB」を用いた知財アセットのネットワーク可視化

(出所)当社作成

このように、広義の知財(知財・無形資産)の収集・特定・設定・可視化のプロセスを踏むことで、ただ単にCGC改訂に対応するために知財・無形資産の活用戦略を開示するだけではなく、より積極的に知財・無形資産を活用する戦略を策定できる。このような知識の蓄積と継承のプロセスを一体として進めることは、サステナブルな経営と、競争力を維持し続ける企業活動の推進に大きく寄与するだろう。

また、「ヒト」が保有する知財アセット情報をデータベースとして活用することで、社内における知見の共有化も可能となる。類似の案件や業務を複数の部署でさまざまな「ヒト」が行うという日常業務においても、先行事例や顧客対応等の知見を保有する社内「人財」や過去の案件ファイル等に誰もが簡単にアクセスできることで、社内の情報流通を促進し、よりイノベーティブ組織へと成長するための知財・無形資産活用戦略として推進できる。また、新規のプロジェクトを立ち上げる際にも、過去に類似の案件や課題解決を担当した「人財」を探索して配置したり、アドバイザリーとして意見を聴取したりする等、知財情報を基にした「ヒト」情報を起点に社内のコミュニケーションを活性化させ、イノベ―ションの再生産が期待できる。

6. 知財・無形資産の活用を進めるうえでの留意

知財・無形資産の活用にはさまざまな利点がある一方で、「ヒト」の知見に基づく情報や、社内文書等の共有について留意するべき点がいくつか考えられる。特に、知財・無形資産の社内活用を促進させ、イノベーティブな生産活動を社内で促進する好循環を生み出すようなメリットのみを社員が享受できる一方で、不正や乱用等が起こらないための、以下(1)~(3)の3点を中心とする社内文化の醸成活動に充分留意する必要がある。

(1) 「ヒト」が保有する知財アセットデータの収集とインセンティブ設計

「ヒト」の知見自体は場合によっては人事情報と関連するものもあり得る。その場合は直接的な人事情報と結びつかないためのスコア化や他の情報と合わせた形でマスキング、人事評価ではなく同僚が客観的に知財アセット情報を評価しそれに見合ったインセンティブを提供する等、本来の知財データベースの目的を達成するうえで最低限の情報開示に努める必要がある。それと同時に、このような「ヒト」の情報を開示するための心理的な障壁を超えるための丁寧な説明と、インセンティブ設計が必要である。

(2) 「ヒト」が保有する知財アセットデータの悪用回避

「ヒト」データは活用の際に、情報漏洩や悪用、さらには妬み嫉みの基となることもあり得る。この点についてはいかに堅牢なセキュリティがあっても、最終的に「人財」の流出に伴う外部流出のリスク増大や、口頭での情報漏洩、一定量の悪用等は防ぐのが難しい。その上で重要なのは、人的・システム的セキュリティ体制を共に整備することである。具体的には各個人に情報リテラシーをしっかりと理解してもらうための研修実施、機械的に監視できるデータダウンロードの規制や、大量ダウンロードの自動検出等を進めていく。また、このようなリスクがある中で、あえて情報を共有するメリットに加え会社の知財情報を活用する信念を、経営層からのメッセージとしてしっかりと全社員に伝え、徐々に文化を醸成する努力も必要である。

(3) 技術やノウハウの活用・伝承

知的・無形資産に含まれる術やノウハウは、その種類によっては非常に強力で他社との差別化要因に大きく寄与する内容も含まれる。このようなケースにおいても、社内の一部で完全に秘匿化するのではなく、ある程度社内開示しつつ、「人財」育成も踏まえて「ヒト」伝いに活用・伝承されるような取り組みが重要である。日本企業においては、秘匿情報はすべて秘匿し「口外無用」というケースが少なくないが、本来的に隠すべきポイントおよび社内共用できるポイントを個人やプロジェクトごと等で明確化し、可能な限りは社内で情報開示する状態が望ましい。つまり、オープンな文化の醸成は、知財・無形資産の集積と活用の拡大において非常に重要だと言える。

7. まとめ:知財戦略から知財・無形資産戦略へ

CGC改訂の対応の過程で起こり得る、一番問題視すべきことは、CGC改訂に対応することが目的化されてしまうケースである。CGCの改訂の本質は、企業の競争力と価値の向上だ。CGC対応のための煩雑な業務が増え企業としてのリソースが失われ、競争力が低下するようでは本末転倒である。見方を変えれば、安易な「実施(comply)」は投資家への失望を誘発しかえって逆効果となるとも言える。そこで、各企業はまずはCGC対応としての知財・無形資産の投資・活用戦略の開示を行いつつも、今後、社内で広義の知財・無形資産の投資・活用戦略をどのように展開し、将来的にサステナブルで競争力のある経営に転化していくかを考え、実行するという一連の流れを価値創造プロセスに組み込んでいくことが肝要である。

今回のCGC改定および検討会のガイドライン案の発表により、企業が説得力のある知財・無形資産戦略を開示できるかどうかが問われる時代はもうそこまで来ている。この対応が求められているのは、これまで特許と事業が大きく乖離し、知財の戦略への取り組みが後手となってきた企業や事業領域においても同様である。積極的に知財・無形資産の定義を見直し、知財情報を積極的に活用して社内の知識の体系化と継承方法の吟味を行い、さらにはこれを用いて競争力を高める事業戦略を構築することで、サステナブルで競争力のある経営への姿勢を投資家に示すチャンスが到来しているとも言える。本レポートが貴社における知財戦略の大きな変革のきっかけとなり、貴社に最適で独自の知財・無形資産戦略が構築される一助となれば幸いである。

【資料ダウンロード】
「広義の知財(知財・無形資産)」戦略構築~可視化できる『広義の知財DB』のご紹介~
『自社アセットを活用した新規事業領域開発と実行支援』のご紹介

【参考】コーポレート・ガバナンスと経営戦略~持続可能なイノベーションと知的財産戦略~(2022/01/25)

 1  知財投資・活用戦略の開示・発信の在り方や社内におけるガバナンスの在り方等について深堀をしたガイドラインの策定を主な目的として立ち上げられた「知財投資・活用戦略の有効な開示及びガバナンスに関する検討会」

「コーポレートガバナンス・コード ~会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上のために~」株式会社東京証券取引所 2021 年 6 月 11 日

「知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドライン」内閣府知的財産戦略推進事務局 2021年12月20日

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