1国2制度のもと法務・知財・為替の統括機能を強める香港~シリーズ「事例から読み解く地域統括拠点のロケーション戦略」⑤~

2021/10/25 大原 潤
グローバルビジネス
中国

グローバル展開をする日本企業が、アジア等に地域統括拠点を設置することは、迅速かつ効果的な事業運営を実現する上で、既に当然の施策となっている。そこで本連載では、事例をもとに地域統括拠点のロケーション戦略を読み解いていく。第5回となる本稿では、香港についてみていく。

これまで、本連載ではタイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアにおける統括拠点設置の戦略について論じてきた。本稿では東南アジア諸国連合(ASEAN)を飛び出し、アジアにおいてシンガポールと並ぶ商業都市である香港についてみていく。

1. 地域統括拠点としての香港の魅力

香港は世界でも有数の競争力のある税制を企業に提供し、法律、規制、資金調達などの環境も整っていることから、企業にとっては統括会社としての運営が容易な国の一つといえる。公用語が英語と中国語(広東語)であり、高い教育水準を持った人材が豊富であることも強みである。香港に海外企業が設置した地域統括会社数は、シンガポールに次いでアジア2位という調査結果もある。

特筆すべきは中国との関係である。1972年、ニクソン政権下で米国の対中制裁が解除され、中国が1978年から推進した「経済開放政策」により、東アジアの金融センターとしての地位を築いた。同時にポテンシャルは秘めるが、事業インフラの脆弱な中国市場への窓口として、中国拠点の統括機能(統括会社等)を設置する企業も多く現れた。1997年の香港返還により、中国という巨大市場と世界をつなぐ玄関口という役割の重要性が増していった。2001年の世界貿易機関(WTO)加盟以降は中国本土の他都市の成長が著しく、統括機能としての存在意義は徐々に低下してきた。大きく変わってきた香港の統括拠点としての位置づけと、その特性により維持している優位性について論じていく。

2.変わる地域統括戦略

2021年5月時点では日系企業は1,289社が企業活動を行っている。金融センター都市であるゆえ金融機関の進出も存在するが、大部分は日本本社またはそのグループ企業の製品の販売拠点としての役割を果たす販売会社である。そのうち純粋な統括会社である90社における実例を見ながら、どのように金融以外の統括機能を香港が果たしてきて、またどのように変わってきたのか見ていくこととする。

【図表1】香港における業種別日系企業進出状況(2021年)

表 香港における業種別日系企業進出状況(2021年)

(出所)東洋経済新報社「海外進出企業総覧2021年版」をもとに当社作成

香港に地域統括会社を構える日系企業の多くは、2000年前後に香港進出を果たしている。現在も地域統括機能を維持する企業はあるが、ここ最近は脱香港の流れが目立つ。特に、華南、華東地域を中心とした本土各都市の製造・販売・物流機能が拡大し始めたことを受け、本土を対象とした統括機能は、製造・販売機能をもつ上海などの拠点に移管するケースが散見される。

精密機器製造大手のオムロンは、2000年代初めまでは集約された経済規模や情報量の観点から、部品工場のある台湾と製造拠点のある中国本土との中継地を香港とし、中華圏における商流の統括拠点として活用していた。だが、2010年前後には、上海へその機能を移している。背景として、中国本土における製造子会社の生産量が拡大したこと、規制緩和により貿易決済の集約が認められたことが背景にあるようだ。

さらに近年では、経済的発展が沿岸都市から内陸部へ広がっていくにつれ、日系企業の製造・販売拠点も同じ方向で拡大しており、巨大市場のコントロールは、中国本土のさまざまな都市へも移行している。イオングループで施設管理を手掛けるイオンディライトは2021年3月に、長江デルタ地域の中心都市である蘇州に統括会社を設けた。ブランドの確立を図りながら地域一帯の市場シェアを高める狙いとのことである。

3.香港が維持する優位性

中国本土の都市の成長により、相対的に優位性を失った香港の製造・販売等の事業機能に付随して統括拠点機能の移転が進んできたが、一日の長がある分野は存在する。法制運用、知的財産権保護、為替などのマネジメント機能は引き続き中国本土そのものの課題である。国際協力銀行(JBIC)が2020年に行ったアンケート調査でも、中国を有望視する日系企業が抱く進出課題において上位を占め、また多くの企業が懸念として挙げていることが分かる(図表2参照)。そういった事業分野においては、統括機能を残す事例もあるようだ。

シンガポールに統括機能の大半を移したニコンが現在も香港に統括機能の一部を構える理由は、ガバナンス、企業における社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)、内部監査の推進など、本社機能の代行とのことである。筆者の経験から見ても、ガバナンスや内部監査などを日本本社の意向を汲んで遂行するうえでは、高い法律スキルのバックグラウンドがある香港人材のほうが相応しいと判断するだろう。中国にありながら、諸外国にとって理解と予測がしやすい法律や司法制度が適用される香港の特性を活かした活用状況といえる。実際、香港国際仲裁センターは歴史が古く、シンガポール・韓国と並んでアジア域内で多くの仲裁案件を扱っている実績がある。

また、知的財産権について、以前は英国もしくは中国当局との折衝が必要であった特許権の獲得を、香港行政との手続きのみで可能とするなど、香港は企業にとって利用しやすい制度作りに力を入れている。さらに、中国本土の有力都市である深セン、広州などの沿岸エリアの都市も香港の特許制度や仲裁機能を受入れ、地域の知財保護のハブとして認めているようだ。人民元についても、1国2制度のもと早くから規制緩和がされていたため、香港は中国本土からの対外決済の最大の相手先である。2010年以降、貿易取引については自由化が進んだものの、依然として政府の管理下にある人民元ベースの取引、特に資本等貿易以外の取引には香港経由が一日の長があり、その優位性は当面保持されるだろう。

【図表2】日系企業が進出有望国に対して抱く主な課題(複数回答)

グラフ 日系企業が進出有望国に対して抱く主な課題(複数回答)

(出所)国際協力銀行「わが国製造業企業の海外事業展開に関する調査報告(第32回、2020年度)」をもとに当社作成

4.どうなる香港

これまで見てきたように、今後の香港の活用法としては統括機能をフルラインナップで拡大していくのではなく、1国2制度の香港に担ってほしい法務、知財、為替等の一部機能統括として活かす余地は残るのではないだろうか。ここで留意しておきたいのは「香港の中国化」の影響である。2018年から2019年にかけて起きた市民による香港政府に対する反中デモ、その後の「香港国家安全維持法」成立によるデモの激化などにより香港の政治状況は不安定な状態になり、進出企業の間では一時香港事業を見直す空気が広がった。ただ、政治面では中国化が進んでいくものの、規制強化で逆に市民活動は落ち着きを取り戻し、企業活動への影響は限定的となった。企業側の受け取り方も冷静になり、法案成立直後の2020年7月と3カ月後の10月に日本貿易振興機構(JETRO)が行った、在香港日系企業向けアンケートを比較すると、国家維持法による法制定への懸念は82%から67%に減少した。法制定への影響予測も、「マイナスの影響が生じうる」との回答は、31%から9%に減少している。

香港に残ることを決めた企業は「香港の中国化」とともに激化が想定される米中デカップリングの影響も注視していく必要がある。欧米、とりわけ米国が香港への優遇措置の廃止などの規制を強めることで、経済活動にも制約が出ることが将来的にゼロとはいえない。また、ホラーストーリーではあるが、香港国家安全維持法の成立により司法の独立が揺らぎ三権分立が崩壊すると、知的財産権をはじめとした企業にとって命の財産権そのものの否定にもつながりかねないといえよう。企業側としても制度がいつ変わるかもしれないという想定に立ち、地域拠点の役割を少しずつ変化させながら、さまざまな事態に対応するべきだろう。次回は、巨大マーケットである中国市場の統括管理について論じることとしたい。

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