地政学リスクに企業はどのように備えるべきなのか
【概要】
米中対立のような地政学リスクは、深刻さを認識しながらも、具体的な対策を講じている日本企業は少ない。例えば、ロシアによるウクライナ侵攻に欧州企業がとった対応等は、事例から学べる対策と考えられる。また、事業継続計画をあらかじめ作成して訓練を行う等、リスクに対応することが求められる。企業戦略において、正しい地政学リスクの把握と分析は極めて重要である。
1. 地政学リスクの概観~底流に流れる米中対立の構造~
(1)ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに相次いで顕在化している様々な地政学リスク
2022年2月24日、ロシア軍がウクライナへ侵攻を開始した。ロシアがウクライナへ“特別な軍事作戦”を実施したことに対して、翌日、中国外務省は「安全保障に関するロシアの正当な懸念を理解している」と語り、ロシアへ直接的な批判をせず、「侵攻」という表現も使わなかった。建前としては、米国や西欧諸国で構成される北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大に反対するロシアの懸念を理解するという立場であり、これは、習近平国家主席が、2022年2月上旬に北京で行われたロシアのプーチン大統領との会談で明確にしたとされる。
しかし、実際は、台湾問題を抱える中国がロシアの理解と有事の際の背後の安全を確保するため、ロシアとの友好関係を維持したいという思惑があると指摘する識者もいる。事実、米国は中国の覇権主義的姿勢に神経をとがらせている。2021年3月9日の米国上院軍事委員会の公聴会で、インド太平洋軍のデビットソン司令官(当時)は「2050年までに国際秩序における指導的役割を米国から奪い取る、という中国の野心の前段階として、台湾への(侵攻の)脅威は今後6年以内に顕在化する」と証言した。
この証言と、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻も相まって、日本経済新聞社の世論調査では「台湾有事に備えるべき」という回答が9割に上っている。
(2)底流に流れる米中対立とその現状
ただ、ロシアがウクライナへ軍事侵攻するまでは中国はロシア寄りの姿勢を鮮明にしていたが、戦況が長引くにつれ、ロシアの国際社会での孤立化が深まっていき、中国はロシアおよびプーチン政権との協力を改めて見直す必要性に迫られているとも言われている。
また、米国のバイデン政権も、安全保障の問題とは別に、外交ルートを通じて環境問題や経済面では慎重に米中間の間合いを詰める動きが見られる。両国は高官協議や首脳協議を重ねつつ、2021年のCOP26では環境をめぐる米中共同宣言を発出、直近でも2022年8月に米中首脳のオンライン会談を開いた。2022年11月に開かれるG20サミットに合わせて、初の対面会談も実現する見込みである。
総じて、現在、地政学リスクとして顕在化しているのは、経済面においてナンバーワンを競い合い、日々対立を続けている米中関係であり、特に米国は人権・ハイテク・台湾問題に焦点を当て、中国をけん制する姿勢を崩していない。2021年2月、米バイデン大統領が「中国は最も重大な競争相手」と外交演説で述べた。さらに、経済安全保障の名の下に、米中経済の切り離し(デカップリング)のフェーズへ移行している。米国は、中国に対する取引を規制するだけではなく、先端技術の移転・漏洩を阻む動きを加速させ、日本などの米同盟国も巻き込み、サプライチェーンや貿易面でのデカップリングも進めている。
2. 地政学リスクが引き起こす企業への影響
米中対立のような地政学リスクは、その深刻さは認識しながらも、現実のものとして捉えている企業はまだまだ少ないのではないだろうか。これらの事象を具体的に企業戦略と結びつけるにはいくつかの経路が考えられるが、経営における論点と組み合わせることで手触り感のあるものになると言える。
(1)事業継続に係るリスク
事業継続に係るリスクと併せて考えることが、まずは検討の端緒となるだろう。国家間紛争やクーデター、テロや抗議デモなど、有事勃発時に現地に滞在する駐在員(その帯同家族を含む)や出張者の仕事や私生活に影響を及ぼす可能性のあるリスクである。
これには、事業を継続するにあたり、人的、物理的に甚大な被害を伴う災害等が発生した場合に、企業の機能を維持し、顧客の経済活動を維持すべく、「事業継続計画『BCP(Business Continuity Plan)』」を策定することで対応できる。この計画に沿って、速やかな事業の再開、あるいは事業の継続を行えるよう努めるもので、もちろん、根幹にある顧客や企業の役職員の生命の安全確保も計画の対象となる。
(2)サプライチェーンに係るリスク
昨今の地政学リスクと企業を考えるうえで、グローバル化したサプライチェーンへの影響は、米中経済のデカップリングとそれに伴うブロック経済圏の形成のほうがむしろ深刻かつ複雑である。米中のような特定国間の対立を発端とする輸出入制限や関税引き上げなど、進出先での経営状況を含め、会社全体の利益に悪影響を及ぼす可能性のあるリスクである。
かつて、サプライチェーンがグローバル化する中で、資源を中心とした企業による経済安全保障・サプライチェーン管理に焦点が当たっていた。レアアース、オイル&ガスなどの資源、防衛技術については、安全保障上の重要物資として各国政府が動向を注視し、企業もまた自国政府と連携しながら事業運営を続けてきた。その領域が、通信や半導体などハイテク産業を端緒に広がりつつあるのだ。例えば、半導体は「産業のコメ」といわれるほど、現代の工業製品にとって不可欠な材料になっている。このような状況では、何が重要産業技術であるかを正しく認識し、そのサプライチェーンの開放度が低減する可能性を、企業は自社戦略に反映させることを迫られる。
具体的には、米国は半導体製造装置等ハイテク部品の輸出管理を強化しており、これは、トランプ政権からバイデン政権に継承された対中圧力を強化する政策手段である。すなわち、商務省のエンティティリストや国防総省の投資禁止対象リストに基づき、当該リストに中国企業を追加することにより、その中国企業との取引や投資を禁じるものである。また、取引禁止は米国企業にとどまらず、米国の技術や部品を使った日本企業など外国企業も対象になる。一方で、中国も対抗措置を講じている。2021年12月、中国はレアアースの国有資源大手など3社のレアアース関連企業を統合した。ハイテク製品に不可欠な中・重希土類の中国内での生産枠シェアで7割弱を握ることとなり、米中デカップリングが進む中、供給網の強化を講じたとされている。うがった見方をすると、中国政府が重点企業として直接監督する約100社の「中央企業」の一角とすることで、供給先に政府の意向を色濃く反映させやすくなったと言える。有事の際には、中国企業に優先供給することも想定できると考える日系企業も少なくない。
【図表1】中国の地政学リスク関連で影響を受けるサプライチェーンと対応の方向性
(出所)当社作成
3. グローバル企業がとるべき対策としてのシナリオプランニング
(1)地政学イベントと企業のサプライチェーンをつなぐシナリオプランニング
では、企業の利益に悪影響を及ぼす可能性のあるリスクを把握するために、何から着手すべきか。それは、不確実性の高い外部環境をマクロトレンドで捉え、事業影響につなげる、シナリオプランニングである。具体的には、企業にとって致命的な影響を及ぼす「クリティカルイベント」を特定し、クリティカルイベントから遡って地政学的予兆イベントに辿り着くシナリオを描く手法である。クリティカルイベントと地政学的予兆イベントの間にはいくつかの予兆イベントが挟まることもあるだろう。このように、個別のイベントを並べ替えて、企業にとっての影響シナリオにすることで、「何を見ておくべきか」「何をコントロールすべきか」が、見えてくる可能性がある。さらに、シナリオによる自社への影響度を勘案し、クリティカルイベントを起点に対策案を検討、実装を進めることも可能となる。
【図表2】シナリオプランニングの流れ
※1.自社に対して海外事業を継続困難にするリスク事象のこと
(出所)当社作成
(2)シナリオプランニングの実例
中国において、製造と販売のかなりの部分を運営する電子部品メーカーの事例を挙げる。このメーカーは、中国を中心としたサプライチェーンのリスクとして、エネルギー・労働力資源不足、国交関係悪化による名指し規制などにより、在中生産拠点の操業ができなくなることを懸念していた。競合企業へのヒアリングも含めたシナリオプランニングの結果、米国由来の知的財産を使用した製造装置・ソフトウェアの中国国内使用規制によって、致命的な影響をもたらすことが洗い出された。同じ使用規制は、中国企業に対する販売についても影響を与えることが判明したため、該当シナリオに対するモニタリングや対策立案などの手立てを重点的に講じていくこととなった。
このように、米中対立に伴うデカップリングの進展は、企業経営に2つの影響を与える。1つ目として、企業は、米国と中国両方の経済圏に適合した体制をとらざるを得なくなり、経済合理性を後回しにしても、部資材の調達や在庫確保などを円滑にするため、サプライチェーンを複線化する必要がある。事業コストは増加するが、自社のグローバル事業を守るための必要経費として捉えるべきであろう。
2つ目は、米国が取引禁止の対象とした企業との取引は継続できないが、逆に言えば、禁止されていない中国企業との取引を継続・拡大していくことは可能であり、事業の成長には不可欠でもある。このような戦略は、案外、忘れられがちではあるが、実際、中国に展開する某米国企業は、冷静に自国の制裁を見極めて中国事業を積極拡大させており、その流れに追随しようとしている日本企業も存在する。
4. まとめ
複雑な世界情勢を読み解き、持続的な成長を実現する企業戦略の立案に向けては、正しい地政学リスクの把握が何より必要になってくる。その意味で、ロシアによるウクライナ侵攻はエネルギー供給をロシアに頼っていたヨーロッパ経済に大きな影響を与えたが、日本の企業にとっては、どうヨーロッパの企業が対処したかについての情報収集が極めて重要と言える。次に来るであろう米中対立の深刻化、さらには台湾有事となれば、地政学的には日本が最も影響を受けるからである。つまり、次は日本の番と考えるべきだろう。もう1つ、立案に向けての重要な視点は、「こんなことが起きるはずはない」などといった根拠のない希望的観測は排除することと、逆に「こうなるに違いない」という思い込みも検証すべきである。最悪のケースを想定することは危機管理上必須だが、戦略に反映させる観点では、確度を組み合わせたうえでのコスト等、デメリットの確認が欠かせない。事業継続計画(BCPプラン)をあらかじめ作成して訓練を行い、組織内の共通の意識を形成するとともに、リスクが深刻化した際にサプライチェーン等の自社の事業に致命的な影響を及ぼす要因を洗い出し、それに対応したシナリオプランニングの実践を推奨する。戦略立案の観点はもちろんのこと、コスト増をステークホルダーに正しく説明するためにも、グローバルに展開する企業に求められる姿勢だと言えるだろう。
※本稿は、三菱UFJ銀行が発行する「MUFG BK 中国月報2022年11月号」からの転載です。
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