1.はじめに
企業の社会的責任(CSR)やESG経営・投資、サステナビリティ、エシカル(倫理的)消費など、社会課題に対する関心や取組みが日本は諸外国と比べて遅れていると事あるごとに指摘されてきた[1]。本レポートのテーマである「アニマルウェルフェア[2]」と「ビジネスと人権[3]」もその例外ではなく、いずれも日本政府の法規制の整備や企業の取組み状況、および消費者の関心は諸外国(特に欧米諸国)に比較して非常に低調であると指摘されている[4]。
本レポートは、日本、アメリカ、イギリス、オーストラリアにおけるアニマルウェルフェアとビジネスと人権に対応した畜産物や食品(以下、対応食品)に対する消費者意識に関するオンラインアンケートの結果を取りまとめたものである。筆者が別稿で整理したとおり[5]、近年食選択の倫理を問う声が高まっている。従来、何を食べるかは個人の自由に委ねられていた。しかし、現在では、私たちが食べる物が他者に影響、特に悪影響を与えていると認識されるようになっている。配慮すべき他者の範囲も広く、国内外の生産者や飢えに苦しむ人々だけでなく、動物や地球環境にまでおよぶようになっている。このように何を食べるべきか、正しい食選択はどうあるべきかを問う研究分野をフードエシックス(食農倫理学)と呼ぶが、当面フードエシックスをめぐる議論が活発化することはあっても、鎮静化することはないだろう。
また、アニマルウェルフェアや人権配慮はESG経営・投資の評価基準にもなっており、食品関連企業もこれらの課題に応えることが投資家やNGO等から求められている。課題に対応しないと投資の引上げやボイコットなど企業のビジネスリスクにつながることもあり、本稿で取り上げる人権リスクの中でも強制労働や児童労働はとりわけ深刻な問題として認識されている。
日本の食品関連企業も大手を中心にアニマルウェルフェアや人権対応を進めつつあるが、課題も抱えている。食品関連企業が課題に対応すると生産・調達コストが増し食品価格を値上げしなければならないが、一方でこれらの課題への消費者の関心が低く値上げに対する消費者の理解が得られないかもしれず、場合によっては客離れが発生してしまうかもしれない。生産・調達コストの増加分が食品価格に転嫁できなければ企業の負担が大きくなるが、アニマルウェルフェアや人権が社会的に重要な価値であるならば、企業だけにその負担を押し付けるのは不当であろう。
こうした社会的状況や問題意識を踏まえ、アニマルウェルフェアや人権に配慮した食品の消費者における受容度の実態を把握するためオンラインアンケートを実施した。アンケートでは卵や肉の購入時に普段重視していることや対応食品の購入経験、対応食品を購入しない理由、対応食品の値上がり容認度について聞いた。日本におけるアニマルウェルフェアや人権問題への関心度や購買意思に関しては先行研究が存在するが、そのほとんどは日本のみを対象にした調査であり、日本以外の国と比較したものは少ない。これまで漠然と日本は諸外国よりも遅れていると批判されてきたが、実際に差はあるのか、あるとしたらどの程度の差が生じているのか、同時調査をすることで明らかにしたいというのが本調査を実施した目的である。また、日本よりも先行していると言われる欧米諸国の状況と比較することで日本においてそれらの価値や対応食品を普及させるためのインプリケーションを得ることも調査の重要な目的である。
主な結果は下記のとおりである。結論を先取りすると、アニマルウェルフェアや人権対応食品への関心度や購買意思、値上がり容認度は日本も決して低いわけではないが、アメリカ、イギリス、オーストラリアとは大きな差が存在した。一方で、日本以外の3カ国の状況から懸念すべき兆候も確認された。以下、調査結果を詳細に見ていきたい。
調査結果の概要
- アニマルウェルフェアに配慮した卵や肉の購入経験がある日本の回答者は5.8%。他方、アメリカは35.2%、イギリスは60.4%、オーストラリアは65.3%であり、日本と他の3カ国で顕著な差が出ている。また、対応食品の購入意向も日本は他の3カ国よりも低い。
- アニマルウェルフェア対応食品を購入しない・関心がない理由について、日本は「近所に購入できる店」がないことを挙げる人が36.8%で最も多い。
- 日本でアニマルウェルフェアに配慮した卵や肉、人権に配慮した食品の値上がりを容認するのは4割超。他の3カ国は6割以上が値上がりを容認しており日本の値上がり容認度は4カ国中で最低だが、それでも一定数は値上がりを容認。卵や肉については普段の購入金額が高い層のほうが相対的にアニマルウェルフェア対応による値上がりを容認する傾向。
- 児童労働と強制労働に配慮した対応食品の購入意向について、日本の回答者は5割程度が購入意向を示している。ただし、他の3カ国は7割以上が購入意向を示した。
- 年収が高い層のほうがアニマルウェルフェアや人権に対応した食品への購入意向と値上がり容認度が高い。ただし、これらの価値が日本よりも浸透していると考えられる他の3カ国では、年収が低い層でも購入意向や値上がり容認度が高くなる傾向にあった。
- 児童労働と強制労働に配慮した食品を購入したくない理由として、日本は「価格が高い」や「児童労働や強制労働についてよく知らない」の割合が大きくなっている。他の3カ国は「人権に配慮した食品」の購入者や、対応食品の購入を主張する人が嫌いと回答する割合が高く、人権の重要性の普及啓発や対応食品の拡大のためには反感を招かないような工夫が必要である。
[1] たとえば消費者庁が開催した「倫理的消費」調査研究会が取りまとめた報告書では、我が国におけるフェアトレード市場規模および消費者の認知度は諸外国に比べて非常に低い水準にあると指摘されている。「倫理的消費」調査研究会『「倫理的消費」調査研究会取りまとめ~あなたの消費が世界の未来を変える~』2017年、1-2頁。
[2] アニマルウェルフェア(動物福祉)とは動物の快適状態を表す言葉であり、仲間や社会を認知し、痛さや苦しさといった苦痛を感じることのできる感受性ある動物に飼養管理面で配慮するという考え方である。人間による動物利用を認めない「アニマル・ライツ」とは異なり、アニマルウェルフェアでは人間による動物利用は否定されない。アニマルウェルフェアでは実現されるべき「5つの自由」という概念があり、家畜の飼育管理や輸送、屠畜においてこの5つの自由(空腹・渇きからの自由、不快からの自由、痛み・損傷・病気からの自由、正常行動発現への自由、恐怖・苦悩からの自由)の確保が目指される。欧州や米国の一部の州で法制度が整備されているだけでなく、2020年に策定されたEUの食料産業政策「Farm to Fork」戦略でも2023年までに関連法制度を改定することが盛り込まれるなど、さらなる制度改正も進められている。日本では(公社)畜産技術協会が畜種別のアニマルウェルフェアの考えに対応した飼養管理指針を作成している。また、農林水産省は「アニマルウェルフェアに関する意見交換会」を立ち上げ、2022年1月に第1回会合が開催されている。意見交換会での検討を踏まえて「畜種ごとの飼養管理等に関する技術的な指針(案)」が作成され、農林水産省は2022年5月23日から6月21日にパブリックコメントが実施された。
[3] 企業の規模の拡大と活動領域のグローバル化により企業がもたらす人権上の負の影響への関心が高まり、企業も人権に関する責任や役割が求められるようになってきた。具体的には、バリューチェーン全体にわたる調達、製造、流通、投資といった企業活動における人権への配慮と、自社の労働者や消費者、地域住民といったステークホルダーとの関係における人権課題への取組みという大きく二つの観点から企業も人権への対応が求められており、そのための手段として人権デュー・ディリジェンスの実施が特に大企業を対象に要請されている。EUやドイツ、フランス、アメリカの一部の州などでデュー・ディリジェンスを義務化する法制度の整備や検討が進められており、日本でも2022年9月には「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が策定された。諸外国から強制労働であると批判されている技能実習生制度についても政府の有識者会議が制度の廃止を求める提言の試案がまとめられたり、議員連盟が人権デュー・ディリジェンスを義務づける法制化を提言したりするなど、日本でもビジネスと人権をめぐってさまざまな動きが見られ、企業としても対応が急務となっている。
[4] 英国に本拠がある動物愛護団体World Animal Protectionは、各国の動物の保護状況を調査して「動物保護指数(Animal Protection Index)」を公表している(Aが最高評価でGが最低)。相対的に欧州諸国の評価が高いが、日本の総合評価はタイやブラジルよりも低い。また、日本の家畜動物の保護状況は最低ランクのG評価が付けられている(2023年4月時点)。食品関連業界におけるアニマルウェルフェアの取組みを評価するための国際的なベンチマークとしてイギリスのNGOが開発した「Business Benchmark on Farm Animal Welfare(BBFAW)」があり、アニマルウェルフェアに関する企業の取組み状況の評価としてよく参照されている。BBFAWでは日本企業5社を含む食品業界の主要企業150社の取組みが格付けされている(2021年版レポート)。主要企業の評価ランクは以下のとおりであり、日本企業5社はいずれも最低評価にランク付けされている(1が最良で6が最低)。WBA(World Benchmark Alliance)は、SDGsの達成に向けた民間企業の取組み状況を評価するベンチマークを開発する団体であるが、この団体が開発した企業人権ベンチマーク(CHRB)は人権リスクが大きいとされる食品・農産物、ICT製造、自動車製造の3部門127社を対象に人権の取組みを評価している(2022年版)。
食品・農産物部門57社のうち最高評価を得ているのはUnilever(英)でありスコアは50.3(最高は100点)である。日本企業の最高点はサントリーホールディングス(27.2)で、キリンホールディングス(22.7)、アサヒグループ(19.8)、イオン(17.9)が続いている。日本企業も人権方針の策定や人権デュー・ディリジェンスなど着実に人権リスク対応を強化しているが、海外の先進企業はさらに前に進んでいる。
これらの団体や機関による評価は、年次報告書やウェブサイトなどで公開されている開示情報に基づいていることが多いため、開示が遅れているだけで低評価の企業でも実際の取組みはさらに進んでいる可能性はある。特に日本企業は英語での開示が遅れることもあるため、欧米企業よりは不利とはいえる。しかし、これらの評価はアニマルウェルフェアやビジネスと人権においてよく参照されるため、国際的な評価を高めるうえでは日本政府および業界としても取組みを強化する必要はあろう。
[5] 秋山卓哉「食選択の倫理化(前編)―食選択の質的変容と輸出政策への影響―」三菱UFJリサーチ&コンサルティング『サーチ・ナウ』2021年12月22日;「食選択の倫理化(後編)―諸価値の競合とあるべき調整の指針―」『サーチ・ナウ』2022年2月22日。
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